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リハビリmemo

大学病院勤務・大学院リハビリテーション学所属の理学療法士による「研究と臨床をつなげるための記録」

ヒトは投げるために肩を進化させてきた 後編

 

 私たちは投げるために肩を進化させてきました。この根拠について進化形態学では、鎖骨の延長化と肩甲骨の関節窩の垂直化、そして上腕骨の形態的変化から説明しています。

ヒトは投げるために肩を進化させてきた 中編

 

 ハーバード大学のRoachらは、ヒトは投げるために肩を進化させたが、現代では肩の進化が怪我のリスク因子になっていると述べています。

 

 今回は、「上腕骨のねじれ(Humeral torsion)」という上腕骨特有の形態から、肩の進化とその弊害について考察していきましょう。

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◆ 上腕骨のねじれは運動習慣の影響を受ける

 

 上腕骨を上から見ると、上腕骨頭の向きと肘関節の軸が交差するのがわかります。この角度を「上腕骨のねじれ」といいます。

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Fig.1:Larson SG, 2015より引用改変

 

 上腕骨のねじれは、出生直後から増加していき、成人までに平均23.4度ほど大きくなります(Cowgill LW, 2007)。

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Fig.2:Larson SG, 2015より引用改変

 

 上腕骨のねじれの形成には、遺伝的要因の他に、運動や動作習慣が大きく影響します。幼少期から野球をやっている選手は、野球をやっていない選手と比べて、上腕骨のねじれが10〜20度ほど少ないことが報告されています(Chant CB, 2007)。

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Fig.3:Chant CB, 2007より引用改変

 

 これは、上腕骨の骨端線の癒合が他の骨よりも遅いことから説明できます。骨癒合していない幼少期からの習慣的な投球動作は、上腕骨のねじれを減少させるように作用します。そのため、成人になった野球選手の上腕骨のねじれは減少しているのです。



◆ 上腕骨のねじれの減少が投げる能力を向上させた

 

 では、なぜ投球動作が上腕骨のねじれを減少させるように作用するのでしょうか?これをRoachらは次のように説明しています。

 

 速く、強く投げるためにはコッキングフェーズの粘弾性エネルギーを多く生み出す必要があります。そのためには、体幹の回旋による慣性モーメントを肩関節の外旋方向に作用させ、外旋可動域を拡大させなければなりません。

ヒトは投げるために肩を進化させてきた 前編

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 この外旋可動域の拡大に上腕骨のねじれが重要な意味をもつのです。(Roach NT, 2013)。

 

 上腕骨のねじれの程度と外旋可動域の関係を調べてみると、上腕骨のねじれが少ないほど外旋可動域が大きいことが報告されています(Roach NT, 2012)。少ない上腕骨のねじれがコッキングフェーズでの外旋可動域を拡大させ、粘弾性エネルギーの増大に寄与するのです。

 

 実際、上腕骨のねじれの程度とコッキングフェーズの回旋力(回旋仕事量)、ボールスピードとの関係においても、上腕骨のねじれが少なければ少ないほど回旋力が強く、ボールスピードが速いことが明らかになっています(Roach NT, 2013)。

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Fig.4:Roach NT, 2013より引用改変

 

 上腕骨のねじれの少なさが投球動作では有利に働くのです。

 

 Roachらは、このような背景から、上腕骨のねじれの減少が、ヒトの投げる能力を進化させたといいます。

 

 ヒトの上腕骨のねじれは他の類人猿に比べて、10度〜20度ほど少ないことが報告されています(Larson SG, 2007)。約200万年という長い間、ヒトは石や木片を投げることで狩猟活動を行ってきました。そこでは、上腕骨のねじれが少なく、粘弾性エネルギーを効率的に生成できるものが主役になれたのです。結果として、進化の自然選択により、ヒトと他の類人猿の上腕骨のねじれの差が生まれたと推測されています。

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Fig.5:Larson SG, 2007より引用改変

 

 

◆ 上腕骨のねじれの減少が怪我のリスクファクターになる

 

 鎖骨、肩甲骨、上腕骨の形態学的進化により、ヒトは他の類人猿よりも速く、強く、正確に投げることができるようになりました。現代では、投げる能力に秀でたものが野球などのオーバーヘッドスポーツの選手として活躍しています。しかし、このようなスポーツと狩猟活動では、根本的に投げる回数が異なります。

 

 例えば、野球のピッチャーは、投球動作を100回以上くり返えします。それも全力で。しかし、狩猟活動に最適化された肩は、このような投球回数を前提に構築されていません。結果として、肩の怪我が生じるのです。

 

 アメリカ・クリーブランドクリニックのPolsterらは、プロ野球の投手25名を対象に、利き手、非利き手の上腕骨のねじれを測定しました。2年間の追跡調査を行い、怪我の発症率、重症度、故障期間を記録しました。その結果、2年間に怪我をした選手は11名(44%)であり、故障期間と上腕骨のねじれに負の相関関係(r = -0.78)が認められました。また、上腕骨のねじれが重度な怪我の予測因子として特定され、上腕骨のねじれが少ない選手は怪我の発生率が高いことが明らかになったのです(Polster JM, 2013)。

 

 近年では、アメリカ・ステッドマンホーキンスクリニックのNoonanらにより、怪我のリスクが高まる上腕骨のねじれのカットオフ値が報告されています。プロ野球の投手225名を対象に、上腕骨のねじれと肩の怪我の発症について調査した結果、プレシーズンからポストシーズンまでの間に怪我をした選手は、怪我をしていない選手に比べて、上腕骨のねじれの利き手と非利き手の差が4度以上、低いことが明らかになりました(Noonan TJ, 2016)。

 

 これらの結果から、上腕骨のねじれが少ない選手ほど怪我のリスクが高いことが示唆されています。Polsterらは、上腕骨のねじれの測定を投手のリスクアセスメントとして行うべきであるという提言を述べています。



 このように進化の過程で得た投げる能力が、現代ではスポーツによる怪我の要因になっているのです。Roachらは、スポーツの怪我のマネージメントにおいて、進化形態学の知見が役に立つと言います。幼少期からの過度の投げ込みは上腕骨のねじれを減少させますが、同時に上腕骨の骨端線離開(リトルリーガーズショルダー)を発症させるリスクを高めます。肩甲骨の関節窩の垂直化が不十分な場合では腱板断裂のリスクが高まります。

腱板断裂の新しいリスク指標を知ろう

 

 このような進化形態学の知見がスポーツ医学の新しい見解を作っていくのかもしれませんね。

 

 

肩関節のしくみとリハビリテーション

肩リハビリ①:肩関節痛に対する適切な運動を導くためのアルゴリズム

肩リハビリ②:腱板断裂術後の再断裂のリスクが15倍になる指標とは?

肩リハビリ③:腱板断裂(損傷)の新しいリスク指標を知ろう

肩リハビリ④:腱板断裂(損傷)の発症アルゴリズムからリハビリを考えよう 

肩リハビリ⑤:肩甲骨の運動とその役割を正しく理解しよう

肩リハビリ⑥:肩甲骨のキネマティクスと小胸筋の関係を知っておこう

肩リハビリ⑦:新しい概念「Scapular dyskinesis」を知っておこう

肩リハビリ⑧:肩甲骨周囲筋の筋電図研究の不都合な真実 

肩リハビリ⑨:肩甲骨の運動異常(Scapular dyskinesis)を評価しよう 前編

肩リハビリ⑩:肩甲骨の運動異常(Scapular dyskinesis)を評価しよう 中編

肩リハビリ⑪:肩甲骨の運動異常(Scapular dyskinesis)を評価しよう 後編

肩リハビリ⑫:肩甲骨の運動パターンから肩甲骨周囲筋の筋活動を評価しよう

肩リハビリ⑬:肩甲骨のキネマティクスと姿勢との関係を知っておこう

肩リハビリ⑭:ヒトは投げるために肩を進化させてきた 前編

肩リハビリ⑮:ヒトは投げるために肩を進化させてきた 中編

肩リハビリ⑯:ヒトは投げるために肩を進化させてきた 後編

 

References

Roach NT, et al. Elastic energy storage in the shoulder and the evolution of high-speed throwing in Homo. Nature. 2013 Jun 27;498(7455):483-6.

Larson SG, et al. Evolutionary transformation of the hominin shoulder. Evolutionary Anthropology 16:172–187 (2007)

Cowgill LW. Humeral torsion revisited: a functional and ontogenetic model for populational variation. Am J Phys Anthropol. 2007 Dec;134(4):472-80.

Chant CB, et al. Humeral head retroversion in competitive baseball players and its relationship to glenohumeral rotation range of motion. J Orthop Sports Phys Ther. 2007 Sep;37(9):514-20.

Roach NT, et al. The effect of humeral torsion on rotational range of motion in the shoulder and throwing performance. J Anat. 2012 Mar;220(3):293-301.

Polster JM, et al. Relationship between humeral torsion and injury in professional baseball pitchers. Am J Sports Med. 2013 Sep;41(9):2015-21.  

Noonan TJ, et al. Humeral Torsion as a Risk Factor for Shoulder and Elbow Injury in Professional Baseball Pitchers. Am J Sports Med. 2016 Sep;44(9):2214-9.

ヒトは投げるために肩を進化させてきた 中編

 

 ハーバード大学の進化生物学者であるRoachらは、進化形態学や生体力学の側面からこう論じています。

 

「ヒトは投げるために肩を進化させてきた」

 

 チンパンジーなどの類人猿に比べて、ヒトだけがものを速く、強く、正確に投げることができます。これは、ヒトだけが「粘弾性エネルギー」を生成できるからです。ヒトは粘弾性エネルギーを効率的に生み出すことによって、投げる能力を獲得したのです。

ヒトは投げるために肩を進化させてきた 前編

 

 Roachらは、ヒトは粘弾性エネルギーを発生させるために、肩の形態学的な進化を遂げてきたと言います。そしてこの進化が現代では肩疾患の要因になっているとも。

 

 今回は肩の進化形態学から、ヒトが投げるために肩を進化させた根拠について考察していきましょう。

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◆ 肩関節90度外転、肘関節90度屈曲位の重要性

 

 投げる動作は、コッキングフェーズとアクセレレイションフェーズに分けることができます。

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 コッキングフェーズからアクセレレイションフェーズへ移行するときのサルとヒトの肩の位置を見てみましょう。サルの肩関節は大きく外転し、肘関節は伸展しています。これに対して、ヒトの肩関節は90度外転し、肘関節も90度屈曲位になっています。Roachらは、この肢位の違いが粘弾性エネルギーの発生に大きく関与していると推測しています。

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Fig.1:Roach NT, 2013より引用改変

 

 粘弾性エネルギーは投球時のコッキングフェーズで発生します。先行する体幹の回旋により、肩関節に外旋方向への慣性モーメントが生じます。ここで肘関節を90度屈曲位にすることによって、慣性モーメントをより効率的に外旋方向へ働かせることができるのです。これにより肩関節の外旋可動域は拡大し、前面にある大胸筋などの軟部線維が伸張されて粘弾性エネルギーが発生するのです。

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Fig.2:粘弾性エネルギーの生成

 

 肘の伸びたアンダースローより肘が屈曲しているオーバースローのほうがスピードで勝るのはこのためです。また、肩を痛めたピッチャーがオーバースローからアンダースローに投げ方を変えるのは、外旋方向への慣性モーメントを減少させて、肩に生じる粘弾性エネルギー(負担)を減らすことができるからです。

 

 ヒトは、このような投球フォームを獲得するために、鎖骨、肩甲骨、上腕骨の形態を進化させてきました。

 

 

◆ 投げるために鎖骨は延長化し、肩甲骨の関節窩は垂直化した

 

 投げる能力の低い初期のホモ・エレクタスに比べて、現代のヒトの肩甲上腕関節は体幹の横方向に配列されています。肩甲上腕関節が体幹の横方向に配置されたことで、投げる際の肩関節90度外転位をとることができ、体幹の回旋による慣性モーメントを上肢に伝達しやすくなったのです。

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Fig.3:Larson SG, 2007より引用改変

 

 このために進化したのが鎖骨の延長化と肩甲骨の関節窩の垂直化です。

 

 肩甲上腕関節を体幹の横に配置するためには、肩甲骨を内転、下制させた位置に変位させる必要があります。肩甲骨と直接、骨連結をもつのは鎖骨だけであり、肩甲骨の位置を後方へ変位させるためには、鎖骨の長さを延長させなければなりませんでした。

 

 アメリカ・ストーニーブルック大学の進化形態学者のLarsonらは、他の類人猿とヒトとの鎖骨の長さを計測した結果を報告しています。

 

 鎖骨の長さだけを比べると、他の類人猿とヒトの間に有意な差はありませんでした。しかし、ゴリラなどの類人猿とヒトの身体の大きさは全く異なります。そこでLarsonらは体形を標準化するために、上腕骨の長さと鎖骨の長さの比率を用いて比較しました。この検証により、ヒトの鎖骨は他の類人猿よりも有意に長いことが明らかになったのです(Larson SG, 2007)。

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Fig.4:Larson SG, 2007より引用改変

 

 このような知見のもと、現在では鎖骨の延長化によって、肩甲上腕関節は体幹の横方向に位置することが可能になったと考えられています。

 

 さらにヒトは、外転90度の肢位で効率的に外旋を行うために、肩甲骨の関節窩を垂直化させました。Larsonらは鎖骨と同様に、他の類人猿に比べて、ヒトの肩甲骨の関節窩の角度が減少していることを明らかにしました。また、関節窩の垂直化により、大胸筋の筋線維の走行も横方向に変位したと推測されており、大胸筋の変位も粘弾性エネルギーの生成に寄与していることが示唆されています(Larson SG, 2007)。

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Fig.5:Larson SG, 2007より引用改変

 

 鎖骨の延長化、肩甲骨の関節窩の垂直化により、投げる際の肩関節90度外転位での外旋が可能になりました。鎖骨、肩甲骨の形態的な進化によって、体幹の回旋にともなう慣性モーメントを効率的に外旋方向に作用させることができるようになったのです。これにより、投げる際の粘弾性エネルギーの生成が増大し、速く強く投げれるようになったと推察されています。(Roach NT, 2013)。

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Fig.6:Larson SG, 2007より引用改変

 

 

 そして粘弾性エネルギーを生み出すためのもうひとつの形態学的進化が「上腕骨のねじれ(Humeral torsion)」です(Roach NT, 2012)。ヒトは上腕骨のねじれを減少させることで粘弾性エネルギーの生成を効率化させてきました。しかし、この上腕骨の形態学的進化が、現代では肩疾患の要因になっているのです。

 

 次回は、上腕骨の形態学的進化と、ヒトが投げるために進化させた肩による弊害について考察していきましょう。

 

 

肩関節のしくみとリハビリテーション

肩リハビリ①:肩関節痛に対する適切な運動を導くためのアルゴリズム

肩リハビリ②:腱板断裂術後の再断裂のリスクが15倍になる指標とは?

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肩リハビリ⑨:肩甲骨の運動異常(Scapular dyskinesis)を評価しよう 前編

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肩リハビリ⑪:肩甲骨の運動異常(Scapular dyskinesis)を評価しよう 後編

肩リハビリ⑫:肩甲骨の運動パターンから肩甲骨周囲筋の筋活動を評価しよう

肩リハビリ⑬:肩甲骨のキネマティクスと姿勢との関係を知っておこう

肩リハビリ⑭:ヒトは投げるために肩を進化させてきた 前編

肩リハビリ⑮:ヒトは投げるために肩を進化させてきた 中編

肩リハビリ⑯:ヒトは投げるために肩を進化させてきた 後編

 

References

Roach NT, et al. Elastic energy storage in the shoulder and the evolution of high-speed throwing in Homo. Nature. 2013 Jun 27;498(7455):483-6.

Larson SG, et al. Evolutionary transformation of the hominin shoulder. Evolutionary Anthropology 16:172–187 (2007)

Roach NT, et al. The effect of humeral torsion on rotational range of motion in the shoulder and throwing performance. J Anat. 2012 Mar;220(3):293-301.

ヒトは投げるために肩を進化させてきた 前編

 

 WBCもいよいよ佳境に入ってきましたね。それにしても、ヒトの投げる能力には驚くばかりです。野球選手は18.44m離れたピッチャーマウンドから幅43.2cmのホームベース上に速く、正確に投げれるわけですから。

 

 チンパンジーなどの類人猿は、ときどき物を投げますが、ヒトほど速く、正確に投げることはできません。私たちヒトだけが速く、正確に投げることができるのです(Westergaard GC, 2000)。

 

 しかし、野球選手でない私たちに「投げる能力」というのは一見、無縁のような気がします。では、なぜヒトは投げる能力を獲得したのでしょうか?

 

 そこには進化的な理由があるのです。

 

 今回は、ハーバード大学の進化生物学者であるRoachらの知見をもとに、投げる能力の進化について考察していきましょう。

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◆ ヒトは狩猟のために投げる能力を進化させた

 

 ダーウィンは、二足歩行の獲得が上肢の動きを開放し、ヒト独自の投げる能力を進化させたと言います(Darwin C, 1871)。

 

 約400万年前、ヒトは二足歩行を獲得し、約200万年前の旧石器時代から狩猟活動を活発に行うようになりました。

 

 肉食動物に比べて、ヒトは足も遅く、力も弱く、爪や牙などの身体的な武器もありません。しかしヒトには、武器を作る知能がありました。そこで削った石や木片を武器にして、狩猟活動を行っていました。

 

 そして、その武器を活用するために進化したのが「投げる能力」だったのです。

 

 約190万年前になると、ヒトは大型の肉食動物を捕食するようになります。投げる速度や正確性を高めることで、大型動物の狩猟を行なえるまでに投げる能力を進化させたのです。その後も農耕が始まる約1万年前まで、ヒトは投げる能力を活用して狩猟活動を行なってきました。

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Fig.1:木片を投げるケニアのダサナック族(Roach NT, 2015)

 

 ここで、ヒトが投げることで狩猟を行なってきた期間を時間軸で見てみましょう。

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Fig.2:狩猟・農耕活動の時間軸

 

 このように見ると、ほとんどの期間を投げることによる狩猟活動によって生活していたことがわかります。長い狩猟活動の期間、ヒトは生き延びるために、正確に、速く、強く投げる能力を進化させてきたのです。

 

 知識社会である現代では、知的能力の高いものが金銭的利益を得ます。同じように、石器時代では、投げる能力の高いものが狩猟活動の主役になっていました。投げる能力は進化の自然選択によって、優位に遺伝的に引き継がれていったのです(投げる能力の高いものが繁殖にも有利だった)。

 

 では、この「投げる能力」を生み出す肩はどのように進化してきたのでしょうか?



◆ ヒトだけが獲得した投球時の粘弾性エネルギー

 

 ボールを速く投げるためには、肩関節の内旋の力(トルク)がもっとも重要です(Pappas AM, 1985)。しかし、肩関節の内旋筋のみのパワーでは、投球時の内旋トルクの半分しか生み出すことができません(Hirashima M, 2007)。速く強い球を投げるためには、残り半分のトルクが重要なポイントになります。

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Fig.3:投球時の内旋トルクの内訳

 

 ハーバード大学のRoachらは、この残りのトルクは「粘弾性エネルギー」によって生み出されると言います(Roach NT, 2013)。

 

 投球動作は、コッキングフェーズ(Arm-cocking phase)とアクセレレイションフェーズ(Acceleration phase)に分けられます。内旋筋のパワーはアクセレレイションフェーズで生成されますが、粘弾性エネルギーはコッキングフェーズで生成されます。

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Fig. 4:投球動作のフェーズ

 

 コッキングフェーズでグラウンドに足をつけたとき、すでに肩は90度外転位にあり、外旋、水平外転して、肘は90度屈曲しています。ここから先行して体幹の素早い回旋が生じ、アクセレレイションフェーズに移行していきます(Hirashima M, 2002)。

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Fig.5:投球のフェーズと各関節運動

 

 この体幹の素早い回旋は、肩関節の外旋方向への慣性モーメントを作り出します。慣性モーメントの増大により外旋の可動域は拡大し、肩の前面にある大胸筋や広背筋、大円筋といった筋や軟部組織を伸張させます。この伸張により、粘弾性エネルギーが生成されるのです。ここで生成された粘弾性エネルギーがその後のアクセレレイションフェーズで放出され、内旋筋のパワーと合わさることで、投球に必要な内旋トルクを最大化させます。

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Fig.6:粘弾性エネルギーの生成

 

 投球動作で「肩がひらいてはいけない」と言われるのは、粘弾性エネルギーの生成が行えないためです。肩がひらいた、いわゆる手投げでは、粘弾性エネルギーが使えず、内旋筋のパワーのみに頼るため、怪我が生じやすくなります。

 

 ヒトが他の類人猿に比べて、速く、強く投げれるのは、この粘弾性エネルギーを利用できるように肩のしくみを進化させたからなのです。

 

 Roachらは、粘弾性エネルギーを効率的に生成するための肩の形態学的な進化について3つの仮説を唱えています。次回、肩のしくみの進化と、その進化の弊害と言われる肩疾患について考察していきましょう。

 

 

肩関節のしくみとリハビリテーション

肩リハビリ①:肩関節痛に対する適切な運動を導くためのアルゴリズム

肩リハビリ②:腱板断裂術後の再断裂のリスクが15倍になる指標とは?

肩リハビリ③:腱板断裂(損傷)の新しいリスク指標を知ろう

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肩リハビリ⑨:肩甲骨の運動異常(Scapular dyskinesis)を評価しよう 前編

肩リハビリ⑩:肩甲骨の運動異常(Scapular dyskinesis)を評価しよう 中編

肩リハビリ⑪:肩甲骨の運動異常(Scapular dyskinesis)を評価しよう 後編

肩リハビリ⑫:肩甲骨の運動パターンから肩甲骨周囲筋の筋活動を評価しよう

肩リハビリ⑬:肩甲骨のキネマティクスと姿勢との関係を知っておこう

肩リハビリ⑭:ヒトは投げるために肩を進化させてきた 前編

肩リハビリ⑮:ヒトは投げるために肩を進化させてきた 中編

肩リハビリ⑯:ヒトは投げるために肩を進化させてきた 後編

 

References

Westergaard GC, et al. A comparative study of aimed throwing by monkeys and humans. Neuropsychologia. 2000;38(11):1511-7.

Darwin, C. The Descent of Man, and Selection in Relation to Sex (John Murray, 1871).

Roach NT, et al. Clavicle length, throwing performance and the reconstruction of the Homo erectus shoulder. J Hum Evol. 2015 Mar;80:107-13.

Pappas AM, et al. Biomechanics of baseball pitching. A preliminary report. Am J Sports Med. 1985 Jul-Aug;13(4):216-22.

Hirashima M, et al. Control of 3D limb dynamics in unconstrained overarm throws of different speeds performed by skilled baseball players. J Neurophysiol. 2007 Jan;97(1):680-91.

Roach NT, et al. Elastic energy storage in the shoulder and the evolution of high-speed throwing in Homo. Nature. 2013 Jun 27;498(7455):483-6.

Hirashima M, et al. Sequential muscle activity and its functional role in the upper extremity and trunk during overarm throwing. J Sports Sci. 2002 Apr;20(4):301-10.

変形性股関節症の悪化を予測する新しい指標を知っておこう

 

 現代の生体力学研究は「股関節に生じる接触応力」が変形性股関節症を悪化させる要因であることを明らかにしています。股関節の局所に接触応力が高まることによって、股関節の滑膜に炎症が生じ、軟骨変性や骨棘が形成され、変形が増悪していきます。この接触応力を増加させる要因のひとつに、歩行時の殿筋の過剰な収縮が挙げられています。

変形性股関節症の保存療法と基本戦略①

変形性股関節症の保存療法と基本戦略②

変形性股関節症の保存療法と基本戦略③

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Fig.1:変形性股関節症を悪化させるフロー

 

 ダルハウジー大学のRutherfordらは、変形性股関節症では歩行時の大殿筋、中殿筋の筋活動が健常者に比べて増大していることを明らかにしました(Rutherford DJ, 2015)。

 

 末期の変形性股関節症の歩行時の大殿筋と中殿筋の筋活動を見てみると、筋活動が歩行周期を通じて増加していることがわかります。

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Fig.2:Rutherford DJ, 2015より引用改変

 

 このような筋活動の増加が股関節の接触応力を増加させ、変形性股関節症の悪化に寄与すると考えられているのです。実際、中殿筋の筋活動と接触応力との関係を調べたValenteらの報告では、歩行中の中殿筋の筋活動の弱化が接触応力を減少させることが示されています(Valente G, 2013)。

 

 殿筋の筋活動が増加する理由は明らかになっていませんが、痛みから逃避するための関節運動の制御や筋の疲労によって生じることが推測されています。

 

 これらの知見から、変形性股関節症の保存療法では「殿筋のコンディショニングにより、股関節への接触応力を軽減する」ことが基本戦略となっています。つまり「お尻まわりの筋肉のコリをほぐして、股関節への負担をやわらげる」ということです。

 

 そして、2017年に入り、変形性股関節症を悪化させる新たな指標が明らかになりました。それは「累積モーメント(Cumulative hip moment)」という指標です。

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◆ 新しい指標である「累積モーメント」とは?

 

 関節モーメントとは、関節が回転しようとするチカラのことを言います。股関節の内転モーメントと言えば、股関節を内転させようとするチカラのことです。歩行時の関節モーメントは床反力の影響を受けるので、主に立脚期に計測されます。

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Fig.3:股関節の内転モーメント

  

 関節モーメントには「ピーク」と「インパルス」があり、歩行時の関節への負担を考える良い指標になります。関節モーメントのピークとは、立脚期中の関節の回転しようとするチカラの最大値のことを言います。インパルスとは、立脚期全体での関節の回転しようとするチカラの総量のことを言います。

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Fig.4:関節モーメントのピークとインパルス

 

 関節モーメントのピークとインパルスの考え方は、変形性膝関節症の発症や悪化の要因として注目されており、膝関節の内転モーメントのピークやインパルスを減少させることが変形性膝関節症の保存療法の基本戦略となっています。

変形性膝関節症のリハビリの新しい考え方

 

 この関節モーメントを用いた新しい指標が「累積モーメント」になります。

 

 累積モーメントとは、立脚期全体の関節モーメントの総量を示すインパルスに「1日の歩数(身体活動量)」を乗じた値を言います。簡単に言えば、日常生活で生じる関節モーメントの総量になります。習慣的な日常生活を累積モーメントであらわす場合は、3〜5日間の平均歩数をインパルスに乗じて算出します(Trost SG, 2005)。

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 この累積モーメントが変形性股関節症の悪化の新しい指標になるのです。



◆ 累積モーメントの知見を保存療法に応用しよう

 

 2017年、京都大学のTateuchiらは、変形性股関節症の悪化に股関節の累積モーメントが与える影響についての前向きコホート研究を行いました。

 

 対象は、二次性の変形性股関節症50名(重度の股関節症を除く)です。アウトカムは、歩行時の股関節モーメント(ピーク、インパルス、累積モーメント)とレントゲン画像による股関節の関節スペースとしました。股関節モーメントは矢状面、前額面、水平面の3つの面で測定しています。これらのアウトカムをベースライン期と12ヶ月後に計測しました。

 

 12ヶ月後に変形性股関節症が悪化(関節スペースが0.5mmより減少)していたのは21例(42.0%)でした。

 股関節モーメントでは、前額面上のモーメントのインパルスがもっとも大きく、次いで矢状面上のモーメントでした。

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Fig.5:Tateuchi H, 2017より引用改変

 

 そして、変形性股関節症の悪化にもっとも寄与していたのが前額面上の股関節の累積モーメントでした。

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Fig.6:Tateuchi H, 2017より引用改変

 

 この結果から、変形性股関節症の1年後の悪化を前額面上の股関節の累積モーメントによって予測できる可能性が示唆されたのです。

 

 これは、変形性股関節症の悪化が瞬間的な関節負荷の増加(モーメントのピーク)や歩行周期全体での負荷(モーメントのインパルス)のみではなく、1日の身体活動量によって影響を受けることを意味しています。

 

 繰り返しの関節軟骨への負荷は微小な損傷を蓄積させ、軟骨細胞のアポトーシスを誘発します(Clements KM, 2001)。そのため、1日の歩数や身体活動量が多いことは変形性股関節症の悪化に寄与するのです。

 

 Tateuchiらは、研究結果から変形性股関節症の悪化を防ぐためには、1日の身体活動を計測し、ライフスタイルへの介入が必要であるとしています。また、前額面上に生じる歩行時の股関節のモーメントを減少させるための歩行への介入が重要であると述べています(Tateuchi H, 2017)。



 この研究結果を加味して、もう一度、累積モーメントの式を見てみましょう。

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 変形性股関節症を悪化させる累積モーメントは、前額面上の股関節モーメントと1日の身体活動量により規定されます。

 

 前額面上の股関節モーメントである内転モーメントは歩行時の接触応力を増加させることが報告されています(Wesseling M, 2015)。そのため、この股関節の内転モーメントを減少させることが累積モーメントの減少につながります。

 

 また、患者さんによって、生活習慣や活動量はそれぞれです。患者さんのライフスタイルを把握し、痛みのあるときは歩数を制限したり、身体活動量を少なくするなど、患者さん自身で累積モーメントを減少できるようセルフマネージメントの指導を行うことが大切になります。

 

 Tateuchiらの報告は、変形性股関節症の悪化を防ぐための保存療法において、多くの示唆を与えてくれます。変形性股関節症の保存療法では、殿筋のコンディショニングとともに、歩行への介入とセルフマネージメントの指導により股関節の累積モーメントを減らすアプローチを考慮する必要があるでしょう。

 

 

変形性股関節症の保存療法

シリーズ①:変形性股関節症の保存療法と基本戦略①

シリーズ②:変形性股関節症の保存療法と基本戦略②

シリーズ③:変形性股関節症の保存療法と基本戦略③

シリーズ④:変形性股関節症の悪化を予測する新しい指標を知っておこう 

 

変形性股関節症リハビリテーション

股関節リハビリ①:歩行時の振り出しで上手に腸腰筋をつかうためのヒント

股関節リハビリ②:力学的負荷から見た股関節運動の注意点

股関節リハビリ③:歩行時の股関節伸展角度が出にくい理由

股関節リハビリ④:股関節症術後に見られる階段昇降の足の使い方

股関節リハビリ⑤:手術か保存療法か

股関節リハビリ⑥:手術か保存療法か(その2) 

股関節リハビリ⑦:人工股関節術後に残りやすい歩き方のポイント

股関節リハビリ⑧:人工股関節術後に残りやすい立ち上がり動作のポイント

股関節リハビリ⑨:自分で簡単に変形性股関節症の程度を確認できる方法

股関節リハビリ⑩:歩容から見る変形性股関節症の重症度

股関節リハビリ⑪:変形性股関節症の簡単な脊椎疾患との鑑別法

股関節リハビリ⑫:変形性股関節症の遺伝子研究の進展

股関節リハビリ⑬:最新手術「筋肉温存型人工股関節置換術」まとめ

股関節リハビリ⑭:歩きに適した外転筋トレーニングの方法

股関節リハビリ⑮:見落としがちな歩き方のポイント

股関節リハビリ⑯:見落としがちな歩き方のポイント(その2)

股関節リハビリ⑰:変形性股関節症の保存療法と関節軟骨

股関節リハビリ⑱:変形性股関節症とランニング(まとめ)

股関節リハビリ⑲:人工股関節置換術とスポーツ

 

References

Rutherford DJ, et al. Hip joint motion and gluteal muscle activation differences between healthy controls and those with varying degrees of hip osteoarthritis during walking. J Electromyogr Kinesiol. 2015 Dec;25(6):944-50.

Valente G, et al. Influence of weak hip abductor muscles on joint contact forces during normal walking: probabilistic modeling analysis. J Biomech. 2013 Sep 3;46(13):2186-93. 

Trost SG, et al. Conducting accelerometer-based activity assessments in field-based research. Med Sci Sports Exerc. 2005 Nov;37(11 Suppl):S531-43.

Tateuchi H, et al. Daily cumulative hip moment is associated with radiographic progression of secondary hip osteoarthritis. Osteoarthritis Cartilage. 2017 Feb 21. pii: S1063-4584(17)30863-4.

Clements KM, et al. How severe must repetitive loading be to kill chondrocytes in articular cartilage? Osteoarthritis Cartilage. 2001 Jul;9(5):499-507.

Wesseling M, et al. Gait alterations to effectively reduce hip contact forces. J Orthop Res. 2015 Jul;33(7):1094-102.

坂道歩行が足関節底屈筋の痙縮を改善させる?

 

 脳卒中後の足関節底屈筋の痙縮は、歩行時の足部のクリアランスを低下させ、歩行能力の低下に寄与します(Fung J, 1994)。また、脳卒中だけでなく、脊髄損傷後の底屈筋の痙縮と歩行能力の低下の関係も示されており(Manella KJ, 2011)、リハビリテーションの大きな治療課題となっています。

 

 この底屈筋の痙縮に対して、アメリカ・エモリー大学のSabatierらのグループは近年の研究結果からこう言います。

 

 「足関節底屈筋の痙縮は、ある環境下を歩くことで改善する可能性がある」と。

 

 では「ある環境下」とは、どのような環境なのでしょうか?今回は、Sabatierらのグループが行っている研究についてご紹介していきましょう。

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 痙縮は「上位運動ニューロン病変による感覚-運動制御の障害である」と定義されており(Pandyan AD, 2005)、特に網様体脊髄路と前庭脊髄路による脊髄の興奮性への抑制と促通のバランスが崩れた結果として生じると理解されています。

痙縮の発生メカニズムを理解しよう

 

 脊髄の興奮性の評価は、臨床では腱反射を用いますが、より詳細に計測する場合は「H反射」が用いられます。H反射は、打鍵器の代わりに電気刺激を使用し、反射の程度を関節運動ではなく、筋電図のH波の変化により評価します。H反射には、いろいろな姿勢や歩行課題でも計測できる利点があります。

H反射を理解して立位姿勢制御のしくみを知ろう

 

 痙縮は、脊髄の興奮性が高まることによって生じます。H反射は、この脊髄の興奮性の高まりをH波の振幅の増加によって示すことができます(Koelman JH, 1993)。そのため、痙縮の改善はH波の振幅の減少によって示すことができるのです。 

 

 Sabatierらのグループは、ある環境下で歩行することによるヒラメ筋のH波の変化を調査しました。



◆ 下り坂の歩行が脊髄の興奮性を減少させる

 

 脊髄の興奮性は、上位運動ニューロンだけでなく、荷重や関節覚などの固有感覚、拮抗筋からの相反神経抑制など様々な修飾を受けています。

 

 ヒラメ筋のH波の振幅は、臥位よりも立位で減少します(Katz R, 1988)。立位よりも歩行で減少し、歩行よりも走行で減少します(Capaday C, 1987)。このように、H波の振幅は姿勢や運動の特異性により変化します。H波の変化は、姿勢の安定化や運動の効率性を高めるために生じると考えられています。

 

 つまり、脊髄の興奮性は、姿勢や運動課題によって特異的な変化が生じるのです。筋緊張が姿勢や動作によって変化するのもうなずけますね。

 

 Sabatierらのグループは、この脊髄の興奮性の課題特異性に注目し、どのような歩行がH波の振幅を減少させるのか?という検証を行い、その結論をこう述べています。

 

 「脊髄の興奮性は、下り坂を歩くことによって減少する」

 

 2015年、Sabatierらは、健常者を対象に、平地歩行と坂道歩行におけるH波の変化を計測しました。被験者は、トレッドミル上での平地歩行、上り坂の歩行、下り坂の歩行を20分間、実施しました。坂道の勾配は15%に設定され、H反射の測定は歩行の前、直後、20分後に計測しています。

 

 その結果、H波の振幅は、平地歩行と下り坂の歩行で有意に減少し、下り坂の歩行ではより大きな減少が認められました。その減少幅は平地歩行の約5倍にも達していました。

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Fig.1:Sabatier MJ, 2015より引用改変

 

 この結果により、下り坂という環境下での歩行が脊髄の興奮性を短期的に減少させる可能性が示唆されたのです(Sabatier MJ, 2015)。



 さらに、2017年、SabatierらのグループのArnoldらは、下り坂の勾配や歩行時間がヒラメ筋のH反射に与える影響について調査しました。

 

 健常者を対象に、下り坂の勾配を15%と25%、歩行時間を15分と20分に設定しました。それぞれの歩行前後のH波の振幅を計測しました。

 

 その結果、平地歩行に比べて、15%の勾配で15分の歩行時間ではH波の効果的な減少が生じないこと、15%の勾配でも歩行時間が20分であれば有意に減少することが示されました。また25%では歩行時間が15分でも有意にH波の振幅が減少しました。

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Fig.2:Arnold E, 2017より引用改変

 

 この結果から、低勾配の場合でも、歩行時間を長くすることでヒラメ筋のH波を減少させる可能性が明らかになったのです(Arnold E, 2017)。

 

 Sabatierらは、これらの結果より、下り坂の歩行が短期的な脊髄の興奮性の減少を生じさせることから、繰り返しの下り坂の歩行練習が長期的な脊髄の興奮性の可塑的変化を引き出す可能性があると推測しています。そして、このような観点から、下り坂の歩行が脳卒中後の痙縮の緩解に寄与する可能性を示唆しているのです。

 

 

◆ 下り坂の歩行が脊髄の興奮性を減少させる理由

 

 では、なぜ下り坂を歩くことで脊髄の興奮性が減少するのでしょうか?

 

 この問に対して、Sabatierらは主に2つの答えを述べています。ひとつは、ヒラメ筋の遠心性収縮による求心性のフィードバックであり、もうひとつは前脛骨筋による相反神経抑制です。

 

 下り坂の歩行では、踵接地の衝撃を吸収するため、平地歩行や上り坂の歩行に比べて、より大きな膝関節の屈曲と足関節の底屈が生じます。この動作は、膝関節伸展筋と足関節底屈筋の遠心性収縮により制御されています(Lay AN, 2006)。このような下り坂の特異的な足関節底屈筋の遠心性収縮が脊髄の興奮性の減少に寄与すると考えられています。

 

 遠心性収縮は、求心性収縮と異なり、筋が収縮しながら筋の長さが伸びていきます。そのため、筋紡錘のある錐内筋線維も合わせて伸びる必要がでてきます。このような筋紡錘への伸張作用が求心性フィードバックにより脊髄の興奮性を減少させるのだろうと推測されています(Burke D, 2012)。

 

 また、下り坂では、平地歩行などに比べて、踵接地時の前脛骨筋の筋活動が増加し、ヒラメ筋との共同収縮が大きく働きます(Lay AN, 2007)。前脛骨筋の筋活動の増加は、相反神経抑制により、ヒラメ筋を制御する脊髄の興奮性の減少に寄与します。

 

 下り坂の歩行では、このような作用が連続的に生じるため、脊髄の興奮性の減少が誘発されるのであろうとSabatierらは推察しています。



 Sabatierらのグループでは、今後、健常者ではなく、脳卒中患者などを対象にして下り坂の歩行の効果を検証するとしています。今回、ご紹介した報告は、健常者による準備的な研究であり、この結果を短絡的に臨床応用することには注意したほうがよさそうです。しかし、ただトレッドミル歩行を行わせるのではなく、脊髄の興奮性の課題特異性を考慮し、下り勾配を付加するという考え方は参考になる報告であったと思います。Sabatierらの続報を待ちたいですね。

 

 

痙縮のメカニズム

シリーズ①:筋紡錘のメカニズムから痙縮について考えよう

シリーズ②:筋紡錘のメカニズムから考える痙縮へのアプローチ

シリーズ③:上位運動ニューロンのメカニズムから痙縮について考えよう

シリーズ④:網様体脊髄路と前庭脊髄路から筋緊張の制御メカニズムを理解しよう

シリーズ⑤:痙縮の発症メカニズムを理解しよう 

 

References

Fung J, et al. Effects of conditioning cutaneomuscular stimulation on the soleus H-reflex in normal and spastic paretic subjects during walking and standing. J Neurophysiol. 1994 Nov;72(5):2090-104.

Manella KJ. Operant Conditioning of Tibialis Anterior and Soleus H-reflex Improves Spinal Reflex Modulation and Walking Function in Individuals with Motor-incomplete Spinal Cord Injury. Vol. Doctor of Philosophy (PHD), University of Miami, University of Miami Libraries Scholarly Repository, 2011.

Pandyan AD, et al. Spasticity: clinical perceptions, neurological realities and meaningful measurement. Disabil Rehabil. 2005 Jan 7-21;27(1-2):2-6.

Li S, et al. New insights into the pathophysiology of post-stroke spasticity. Front Hum Neurosci. 2015 Apr 10;9:192.

Koelman JH, et al. Soleus H-reflex tests and clinical signs of the upper motor neuron syndrome. J Neurol Neurosurg Psychiatry. 1993 Jul;56(7):776-81.

Katz R,  et al. Changes in presynaptic inhibition of Ia fibres in man while standing. Brain. 1988 Apr;111 ( Pt 2):417-37. 

Capaday C, et al. Difference in the amplitude of the human soleus H reflex during walking and running. J Physiol. 1987 Nov;392:513-22. 

Sabatier MJ, et al. Slope walking causes short-term changes in soleus H-reflex excitability. Physiol Rep. 2015 Mar;3(3).

Arnold E, et al. Walking duration and slope steepness determine the effect of downslope walking on the soleus H-reflex pathway. Neurosci Lett. 2017 Feb 3;639:18-24.

Lay AN, et al. The effects of sloped surfaces on locomotion: a kinematic and kinetic analysis. J Biomech. 2006;39(9):1621-8.

Burke D. Chapter 3. Fusimotor mechanisms, muscle spindles and their role in the control of movement, in: The Circuitry of the Human Spinal Cord: Spinal and Cortical Mechanisms of Movement, Cambridge University Press, New York, 2012, pp. 110–137.

Lay AN, et al. The effects of sloped surfaces on locomotion: an electromyographic analysis. J Biomech. 2007;40(6):1276-85.