腱板断裂などの腱板病変は、肩峰下スペースの狭小化にともなう肩峰下インピンジメントにより発症します。現在では、肩峰下スペースの狭小化を生じさせる解剖学的、生体力学的要因が明らかになり、特に生体力学的要因である肩甲骨のキネマティクスの異常は、リハビリテーションの治療対象として位置づけられています(Seitz AL, 2011)。
『腱板病変の発症アルゴリズムからリハビリテーションを考えよう』
図1:Seitz AL, 2011より引用改変
2013年に行われ国際会議(通称Scapular summit)では、肩甲骨のキネマティクスの異常を「Scapular dyskinesis」という新しいコンセプトとして捉え、肩疾患の評価、治療を行うことの必要性が唱えられました。Scapular dyskinesisは肩疾患の60%以上に認められることから、その認識の重要性が高まっているのです。(Kibler WB, 2013)。
Scapular dyskinesisは「肩甲骨の運動、位置の異常」として定義されており、肩峰下インピンジメント症候群の要因であるとともに、小胸筋の短縮や後方関節包のタイトネス、肩甲骨周囲筋の筋活動の異常によって起因することが明らかになっています。
『新しい概念「Scapular dyskinesis」を知っておこう』
図2:Kibler WB, 2013より筆者作成
小胸筋の短縮は、その作用機序から上肢挙上時の肩甲骨の後傾を妨げる要因となり、Scapular dyskinesisの発症因子として特定されています。
そこで今回は、Scapular dyskinesisのもう1つの発症因子である「肩甲骨周囲筋の筋活動の異常」について考察していきましょう。
◆ 肩甲骨周囲筋の筋電図研究は矛盾だらけ
肩甲骨の運動は、肩甲骨周囲筋の協調的な筋活動により行われ、主に僧帽筋と前鋸筋の関与が注目されています。これらの筋活動の異常がScapular dyskinesisを生じさせ、肩峰下インピンジメント症候群を誘発することが示唆されているからです(Ludewig PM, 2000)。
では、健常者と肩峰下インピンジメント症候群では、僧帽筋と前鋸筋の筋活動にどのような違いがあるのでしょうか?
肩峰下インピンジメント症候群を対象にした肩甲骨周囲筋の筋電図学的研究は2000年初頭から積極的に報告されるようになりました。そこから得られた結論を南カルフォルニア大学のMichenerらはこう言っています。
「肩甲骨周囲筋の筋電図研究は矛盾だらけである」
これは本当なのでしょうか?
さっそく、Michenerが論拠にしている2000年から2011年までに発表された、7つの主要研究の結果を見てみましょう。これらの研究は、健常者のコントロール群で比較され、対象筋に僧帽筋(上部、中部、下部)と前鋸筋を含んでいるものを基準に選出されています。
肩峰下インピンジメント症候群の筋電図分析の結果を簡易的にまとめてみると…
図3:Michener LA, 2016より筆者作成
やはり結果はバラバラのようです。もちろんそれぞれの研究においては、上肢の負荷の有無や挙上スピードの違いなど、実験方法の異なりがありますが、Michenerらが「矛盾だらけである」というのも頷けます。
こうした矛盾のある報告がなされる中、肩峰下インピンジメント症候群に対するリハビリテーションは、肩の巨匠であるCools氏やLudewig氏らのいう「肩峰下インピンジメント症候群の筋活動は、僧帽筋上部線維が増加し、僧帽筋下部線維と前鋸筋は低下する」という知見にもとづいて行われているのです。
◆ 肩甲骨周囲筋の筋電図研究の見えてきた課題
このような背景のもと、ようやく2010年に肩甲骨周囲筋の筋電図研究をまとめた初めてのシステマティックレビューが報告されたました。
イースト・アングリア大学のChesterらは2008年までに報告された11の研究をレビューしました。
その結果は、健常者に比べて、肩峰下インピンジメント症候群では僧帽筋上部線維の明らかな筋活動の増加を認めただけで、その他の筋に変化はみられないというものでした。
図4:Chester R, 2010より筆者作成
Chesterらは、この結果から「現状では肩甲骨周囲筋の筋電図研究からエビデンスは見いだせない」と結論づけています。そして肩甲骨周囲筋の筋電図研究の難しさを以下のように述べています。
まず、肩甲骨周囲筋の筋電図測定は、クロストークがとても生じやすいことを挙げています。多くの筋が重なっている肩甲骨周囲筋では、測定筋の筋電図に隣接する筋の筋活動も混入してしまい(クロストーク)、再現性のある測定が難しいのです。
そのため、測定の信頼性を検証しておく必要があるのですが、信頼性の検証がなされた研究はわずかでした。
さらに、いくつかの報告では筋電図の正規化(Normalization)がされていないままグループ間の比較が行われていました。肩峰下インピンジメント症候群では、筋収縮時にもなう肩痛により、最大筋収縮による正規化(%MVC)を得ることが難しいのです。
これらの問題を克服し、将来的には縦断的研究を行うことが肩峰下インピンジメント症候群の特有の筋活動を明らかにするために必要であると述べています(Chester R, 2010)。
そしてChesterらの報告から4年後の2014年、もうひとつのシステマティックレビューが報告されました。
アントワープ大学のStruyfらは2012年までに発表された12の論文をもとにレビューを行いました。その結果、肩峰下インピンジメント症候群は、僧帽筋上部線維の筋活動が増加し、僧帽筋下部線維と前鋸筋が低下するという中等度のエビデンスが得られたと報告しています。
図5:Struyf F, 2014より筆者作成
しかしながら、Struyfらは、Chesterらの言う筋電図研究の問題点は克服しつつあるとして、肩甲骨の動きと筋活動の関係性についての重要な問題提起をしています。
2011年、筋電図と3次元動作解析を組み合わせた研究を報告したLinらは、肩峰下インピンジメント症候群にみられる肩甲骨の運動パターンはさまざまであり、肩甲骨の運動を考慮して筋電図の測定を行うべきであると論じています(Lin JJ, 2011)。例えば、肩甲骨の後傾が減少している場合は、僧帽筋上部線維が明らかに増加し、前鋸筋が低下しますが、肩甲骨の外旋の減少ではこのような筋電図所見は見られないためです。
このような報告を例にあげ、Struyfらは、肩峰下インピンジメント症候群では肩甲骨の運動パターンが異なるため、肩甲骨周囲筋の筋活動パターンを画一的に特徴づけることは難しく、そのため高いエビデンスを示すことができないと述べています。さらに、筋電図研究の成果をリハビリテーションの臨床で応用するためには、十分な評価のもと行わなければならないと注意を喚起しています(Struyf F, 2014)。
肩峰下インピンジメント症候群にみられるScapular dyskinesisの筋活動パターンは「僧帽筋上部線維が増加し、僧帽筋下部線維、前鋸筋が低下する」という一定の見解が得られていますが、だからといって、そのまま臨床応用するには注意が必要です。なぜなら、肩甲骨の運動パターンは症例により「それぞれ」だからです。
だとしたら、臨床ではどのように評価したら良いのでしょうか?
次回、この答えについて、Scapular dyskinesisの運動パターンと筋活動の関連を示した近年の報告をご紹介しながら考察してみたいと思います。
肩関節のしくみとリハビリテーション
肩リハビリ①:肩関節痛に対する適切な運動を導くためのアルゴリズム
肩リハビリ②:腱板断裂術後の再断裂のリスクが15倍になる指標とは?
肩リハビリ③:腱板断裂(損傷)の新しいリスク指標を知ろう
肩リハビリ④:腱板断裂(損傷)の発症アルゴリズムからリハビリを考えよう
肩リハビリ⑤:肩甲骨の運動とその役割を正しく理解しよう
肩リハビリ⑥:肩甲骨のキネマティクスと小胸筋の関係を知っておこう
肩リハビリ⑦:新しい概念「Scapular dyskinesis」を知っておこう
肩リハビリ⑧:肩甲骨周囲筋の筋電図研究の不都合な真実
肩リハビリ⑨:肩甲骨の運動異常(Scapular dyskinesis)を評価しよう 前編
肩リハビリ⑩:肩甲骨の運動異常(Scapular dyskinesis)を評価しよう 中編
肩リハビリ⑪:肩甲骨の運動異常(Scapular dyskinesis)を評価しよう 後編
肩リハビリ⑫:肩甲骨の運動パターンから肩甲骨周囲筋の筋活動を評価しよう
肩リハビリ⑬:肩甲骨のキネマティクスと姿勢との関係を知っておこう
肩リハビリ⑭:ヒトは投げるために肩を進化させてきた 前編
肩リハビリ⑮:ヒトは投げるために肩を進化させてきた 中編
肩リハビリ⑯:ヒトは投げるために肩を進化させてきた 後編
References
Seitz AL, et al. Mechanisms of rotator cuff tendinopathy: intrinsic, extrinsic, or both? Clin Biomech (Bristol, Avon). 2011 Jan;26(1):1-12.
Kibler WB, et al. Clinical implications of scapular dyskinesis in shoulder injury: the 2013 consensus statement from the 'Scapular Summit'. Br J Sports Med. 2013 Sep;47(14):877-85.
Ludewig PM, et al. Alterations in shoulder kinematics and associated muscle activity in people with symptoms of shoulder impingement. Phys Ther. 2000 Mar;80(3):276-91.
Michener LA, et al. Relative scapular muscle activity ratios are altered in subacromial pain syndrome. J Shoulder Elbow Surg. 2016 Nov;25(11):1861-1867.
Bandholm T, et al. Force steadiness, muscle activity, and maximal muscle strength in subjects with subacromial impingement syndrome. Muscle Nerve. 2006 Nov;34(5):631-9.
Cools AM, et al. Trapezius activity and intramuscular balance during isokinetic exercise in overhead athletes with impingement symptoms. Scand J Med Sci Sports. 2007 Feb;17(1):25-33.
de Morais Faria CD, et al. Scapular muscular activity with shoulder impingement syndrome during lowering of the arms. Clin J Sport Med. 2008 Mar;18(2):130-6.
Roy JS, et al. Upper limb motor strategies in persons with and without shoulder impingement syndrome across different speeds of movement. Clin Biomech (Bristol, Avon). 2008 Dec;23(10):1227-36.
Diederichsen LP, et al. The activity pattern of shoulder muscles in subjects with and without subacromial impingement. J Electromyogr Kinesiol. 2009 Oct;19(5):789-99.
Lin JJ, et al. Adaptive patterns of movement during arm elevation test in patients with shoulder impingement syndrome. J Orthop Res. 2011 May;29(5):653-7.
Chester R, et al. The impact of subacromial impingement syndrome on muscle activity patterns of the shoulder complex: a systematic review of electromyographic studies. BMC Musculoskelet Disord. 2010 Mar 9;11:45.
Struyf F, et al. Scapulothoracic muscle activity and recruitment timing in patients with shoulder impingement symptoms and glenohumeral instability. J Electromyogr Kinesiol. 2014 Apr;24(2):277-84.