今日(10月30日)、宇宙飛行士の大西さんが国際宇宙ステーションでの滞在を終えて帰還されました。宇宙での滞在期間は116日にも及んだそうですが、今では長期滞在が当たり前なので、あまりニュースでも報じられなくなってしまいましたね…
さて、今回は、宇宙と関わりのある「重力」の観点から、歩行に必要な感覚入力について考察してみましょう。
◆ 帰還した宇宙飛行士は転びやすい
ヒトの歩行工学から開発された二足歩行ロボットは、何の動力源がなくても重力と慣性力のみで13時間以上、歩き続けることができます。狩猟時代、ヒトは長い距離を歩いて、移住しながら狩りをしなければなりませんでした。そのため、重力を効率的に利用する現在の二足歩行に最適化されてきたのです。
では、重力のない宇宙空間での長期滞在により、ヒトの歩行にはどのような変化がおきるのでしょうか?
2011年までのスペースシャトルの飛行期間はおおむね14日程度でしたが、国際宇宙ステーション(International Space Station:ISS)での長期滞在が始まると、その滞在期間は約半年間にもなりました。
ヒトの宇宙活動にかかわる医学的問題の解明と対処方法を確立する学問を宇宙医学と言いますが、ISSでの有人宇宙活動が長期化するにつれて、その注目度が増しています。
そして宇宙医学の知見が、歩行に必要な感覚入力の重要性を教えてくれるのです。
宇宙医学の発展にともない、無重力によって生じる筋力低下や骨量低下への対応方法も研究されてきました。現在では、無重力環境でも使用できるトレッドミルや自転車エルゴメーター、抵抗運動装置がISSで用いられています。
図1:ISSサイトより引用
このような装置を用いることによって、ISSに6ヶ月滞在しても下肢筋力を維持することが可能となり、さらには滞在前よりも強化された事例も報告されています(NASA HRP, 2014)。
しかし、帰還後の宇宙飛行士には、筋力とは「別」の問題が生じていることがNASAのMillerらにより報告されました。Millerらは、帰還した宇宙飛行士の歩行分析を行った結果、遊脚期のトゥクリアランス(つま先と床の距離)が不良になり、転倒のリスクが高くなることを明らかにしたのです(Miller CA, 2010)。
Fig.1:Miller CA, 2010より引用(サンプルデータ)
また、帰還後の宇宙飛行士にFunctional Mobility Testという障害路を歩行させる研究では、多くの宇宙飛行士が障害物をまたぐ際につまずき、減点が認められたと報告されています(Mulavara AP, 2010)。
Fig.2:Mulavara AP, 2010より引用(Functional Mobility Test)
宇宙飛行士の下肢の筋力は、トレーニング機器の開発により足部の周囲筋も含めて維持することが可能となりました。では、なぜ、帰還後の宇宙飛行士はつまずいたり、転びやすくなるのでしょうか?
Millerらは、帰還後の歩行時の足部の運動機能低下について、無重力空間での長期滞在による「歩行特有の荷重感覚の欠如」が原因であると推測しました。
◆ 荷重感覚は歩行時の足部の動きを誘発する
Millerらの問題提起を実証したのが、ロシア科学アカデミーのGerasimenkoらの研究です。
Gerasimenkoらは、ヒトのCPG(Central pattern generator)に対する感覚入力の影響ついて研究を重ねてきました。
ヒトのCPGの存在は1998年のDimitrijevicらにより報告されています。Dimitrigevicらは、健常者の腰部に針電極を刺し、電気刺激を加えることで下肢のステッピング様の運動が誘発できることを明らかにしました(Dimitrijevic MR, 1998)。
しかし、Dimitrijevicらの研究は、針電極を用いる侵襲的な研究デザインのため、被験者を募ることが困難であり、感覚入力の影響などを調べる応用的な研究には発展しませんでした。これに対して、Gerasimenkoらは、脊髄への非侵襲的な電気刺激によりステッピング運動を誘発することに成功したのです。
健常者を対象に、下部胸椎〜上部腰椎への経皮的電気刺激を行うことによって、下肢のステッピング運動とともに下肢筋の筋活動を導出しました。その結果、電気刺激の強度に応じて下肢のステッピング運動と筋活動の増加が認められ、非侵襲的にヒトのCPGを誘発できることが示されました(Gerasimenko Y, 2015)。
Fig.3:Gerasimenko Y, 2015より引用
次に、Gerasimenkoらは、CPGを補完する感覚入力を明らかにする実験を行いました。感覚入力は過去の研究でも報告されている荷重感覚に注目し、脊髄への電気刺激に、足底への圧刺激を加えて、誘発されるステッピング運動の変化を分析しました。
健常者を対象として、トレッドミル上で①脊髄への電気刺激、②足底への圧刺激、③両方の刺激を与えました。その結果、脊髄への電気刺激によりハムストリングスの筋収縮が誘発され、股関節と膝関節のステッピング様の運動が見られました。足底への圧刺激では、前脛骨筋と内側の腓腹筋の筋活動が誘発され、足関節の運動が認められました。両方の刺激を組み合わせると下肢全体の筋活動が増加し、ステッピング運動が大きくなるとともに、特に足部の筋活動と底背屈運動が著しく増加することが示されました。
Fig.4:Gerasimenko Y, 2016より引用改変
この結果から、脊髄への電気刺激はCPGによる股関節、膝関節のステッピング運動を誘発し、足底への圧刺激は足部の運動を誘発することが示唆されました。両方の刺激を同時に与えることで、さらにステッピング運動は増強され、足部の筋活動がより促通されることがわかったのです。
Gerasimenkoらは、足底への圧刺激となる歩行時の荷重感覚は、CPGによる股関節、膝関節のステッピング運動に足関節の運動を補完させる作用があり、荷重感覚の入力は歩行時の足部の運動を促通すると結論づけています(Gerasimenko Y, 2016)。
NASAのMillerらは、その後の研究会で、Gerasimenkoらの研究結果を引用し、宇宙飛行士の帰還後に見られる歩行時のトゥクリアランスの低下は、無重力空間の長期滞在による「荷重感覚の欠如」が生じた結果であると述べています。
また、NASAで行われた90日間の長期臥床の実験では、長期臥床が大脳皮質運動野の下肢領域の興奮性を低下させることが報告されています(Roberts DR, 2010)。Millerらは、無重力空間による歩行特有の荷重感覚の欠如が、中枢神経系の可塑的変化を生じさせ、重力空間である地球に帰還した宇宙飛行士は、歩行時の足部の運動機能が低下し、転びやすくなると考察しました。
これらの知見は、私たちに歩行における荷重感覚の重要性を教えてくれています。Gerasimenkoらは、臨床においても、歩行時の立脚期の荷重感覚の入力が、その後の遊脚期の足部のクリアランスに寄与する可能性について論じています。この知見は歩行へのアプローチの参考になるでしょう。
二足歩行を獲得した400万前の世界には平地がほとんどありません。ヒトは凸凹の地面をつまずくことなく歩かなければなりませんでした。重力に抗して、このような地形に適応して歩くために、ヒトは足部の運動を発達させていったのかもしれませんね。
References
NASA Human Research Program 2014 Fiscal Year Annual Report
Miller CA, et al. Changes in toe clearance during treadmill walking after long-duration spaceflight. Aviat Space Environ Med. 2010 Oct;81(10):919-28.
Mulavara AP, et al. Locomotor function after long-duration space flight: effects and motor learning during recovery. Exp Brain Res. 2010 May;202(3):649-59.
Dimitrijevic MR, et al. Evidence for a spinal central pattern generator in humans. Ann N Y Acad Sci. 1998 Nov 16;860:360-76.
Gerasimenko Y, et al. Transcutaneous electrical spinal-cord stimulation in humans. Ann Phys Rehabil Med. 2015 Sep;58(4):225-31.
Gerasimenko Y, et al. Integration of sensory, spinal, and volitional descending inputs in regulation of human locomotion. J Neurophysiol. 2016 Jul 1;116(1):98-105.
Roberts DR, et al. Cerebral cortex plasticity after 90 days of bed rest: data from TMS and fMRI. Aviat Space Environ Med. 2010 Jan;81(1):30-40.