1921年に世界でフルマラソンの標準距離「42.195km」が示されてから約100年が過ぎようとしています。これまで「ヒトは42.195kmをどのくらいの時間で走ることができるのか?」というテーマが運動生理学者たちの知的好奇心を煽ってきました。
1998年にはLiuとSchutzらが、これまでの予測モデルを洗練させ「ヒトは2010年までに2時間06分07秒を、2050年には2時間02分39秒を達成できるだろう」と予測しました(Liu Y, 1998)。そして、Liuらの検証結果は、ヒトが2時間を切ることは「ありえない」と結論づけたのです。
しかし、ヒトは研究者の予測を裏切り続けます。
1998年にロナウド・ダ・コスタはフルマラソンの世界記録を2時間06分05秒とし、2010年にはハイレ・ゲブレセラシェによって2時間03分59秒までの記録が縮まりました。これにより、Liuらの予測は見事に外れてしまったのです。
近年では、Joynerらはヒトは2022年までに2時間切りを達成すると予測し(Joyner MJ, 2011)、反対にWeissらは2100年までにヒトが2時間を切ることは困難だろうと予測しています(Weiss M, 2016)。
そのような予測の中で、2014年には、ケニアのデニス・キメットが2時間02分57秒の世界記録を更新し、人類を初めて2時間2分台へと導きました。これに刺激され、現在のスポーツ運動生理学の界隈では「ヒトはいつ2時間を切るのか?」「どのようにトレーニングしたら2時間を切れるのか?」という2時間切り(sub-2hour)の議論が熱を帯びているのです。
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◆ ランニングパフォーマンスのメカニズム
フルマラソンなどのランニングパフォーマンスを高めるための要素は3つあります。それは最大酸素摂取量、嫌気性代謝閾値、ランニングエコノミーです。
ヒトが運動をするとき、呼吸によって酸素を身体に取り入れ、この酸素を利用して糖や脂肪を分解してエネルギーを作っています。このときの酸素の量を「酸素摂取量」といいます。走る距離が多くなると呼吸がはやくなるのは、利用する酸素の量が多くなるからです。
最大酸素摂取量とは、この酸素摂取量の最大値のことをいいます。自転車に乗って坂道を登っていくと次第に息苦しくなり、最後には登ることができなくなります。このときの1分間にどれだけ酸素を取り込めるのかという能力が最大酸素摂取量(VO2 max)です。
運動に必要なエネルギーは筋肉の細胞で作られます。筋肉に多くの酸素があれば、酸素を利用してエネルギーを作ることができます。これがいわゆる有酸素運動です。しかし、ランニングの距離が増えたり、ランニングスピードが速くなると、徐々に筋肉への酸素供給が間に合わなくなります。
筋肉に酸素が不足すると、有酸素運動から無酸素運動となり、エネルギーの作り方も「解糖系」という方法に代わります。しかし、解糖系によるエネルギー生成は効率が悪く、長い時間、パフォーマンスを維持できません。この有酸素運動から無酸素運動に切り替わるポイントを嫌気性代謝閾値(AT)といいます。一般的に嫌気性代謝閾値は、最大酸素摂取量の50-60%とされています。
ランニングパフォーマンスを向上させるためには、酸素を摂取する能力である最大酸素摂取量を高めなければなりません。そして、嫌気性代謝閾値を高めることで、最大酸素摂取量の高い割合(酸素の供給が多い状態)で走れるようにすることが重要になるのです。
一般男性の最大酸素摂取量は40ml/kg/minであり、市民ランナーでは50ml/kg/minとされています。また、一般人の嫌気性代謝閾値は最大酸素摂取量の50-60%です。
これに対して、世界的なランナーの最大酸素摂取量は75ml/kg/minで、嫌気性代謝閾値は最大酸素摂取量の少なくとも80%であるとされています(Foster C, 2007)。世界的なランナーの最大酸素摂取量と嫌気性代謝閾値が高いのかがわかりますね。
しかし、このような高いレベルにある世界的なランナーでさえも、フルマラソンで2時間を切るということは難しいのです。
◆ ランニングエコノミーの向上が2時間切りのポイント
では、フルマラソンで2時間を切るためには、最大酸素摂取量と嫌気性代謝閾値をどこまで高めなければならないのでしょうか?
カルガリー大学のFletcherらは、フルマラソンで2時間を切るための最大酸素摂取量と嫌気性代謝閾値を算出しています。56kgのランナーの呼吸交換比が0.95であると仮定した場合、最大酸素摂取量は85mil/kg/min以上、嫌気性代謝閾値は最大酸素摂取量の85%以上でなければならないことを報告しています(Fletcher JR, 2009)。
この結果、Fletcherらは、この値でフルマラソンを走れる選手は「特別」であるとしています。さらに、これ以上に最大酸素摂取量と嫌気性代謝閾値を向上させることは実質的に困難だろうと述べています。
しかし、Fletcherらの考察はここで終わりません。85ml/kg/minの最大酸素摂取量はランニングの仕事量に換算すると4.39J/kg/minになります。例えば、この仕事量を3.77J/kg/minにできれば、最大酸素摂取量は77.5mi/kg/minになります。Fletcherらは、この最大酸素摂取量であれば達成が可能であると推測しているのです。
そして注目され始めたのがランニングの仕事量であり、ランニングの効率を示す「ランニングエコノミー」です。
ランニングエコノミーは、「ランニングの経済性」と直訳でき、意訳では「ランニングの効率性」となります。よく車の燃費として例えられますが、ランニング時に摂取した酸素を如何に効率的に利用するか?という意味になります。
2017年5月には雑誌Sports medicineに「フルマラソンの2時間切り(sub-2hour)を達成するためにランニングエコノミーをどのように向上させるか?」という特集が掲載されており、現在のスポーツ運動生理学では、ランニングエコノミーの要因やトレーニング方法がトピックスとなっています。
そこで、本ブログにおいてもランニングエコノミーの知見をテーマごとに考察してみようと思います。ランニングエコノミーを向上させる知見は、世界的なランナーのみならず、一般ランナーにおいても有用な情報になります。ランニングエコノミーの向上がランニングパフォーマンスをさらなるレベルに引き上げる手助けになるからです。
◆ 読んでおきたい記事
①:ランニングのメカニズムとランニングエコノミーについて知っておこう
②:ランニングエコノミーがランニングパフォーマンスを高める理由を知っておこう
References
Liu Y, Schutz RW. Prediction models for track and field performances. Meas Phys Educ Exerc Sci.1998;2:205–23.
Joyner MJ, et al. The two-hour marathon: who and when? J Appl Physiol (1985). 2011 Jan;110(1):275-7.
Weiss M, et al. One hundred and fifty years of sprint and distance running - Past trends and future prospects. Eur J Sport Sci. 2016;16(4):393-401.
Foster C, et al. Running economy : the forgotten factor in elite performance. Sports Med. 2007;37(4-5):316-9.
Fletcher JR, et al. Economy of running: beyond the measurement of oxygen uptake. J Appl Physiol (1985). 2009 Dec;107(6):1918-22.