リハビリmemo

理学療法士・トレーナーによる筋トレやダイエットについての最新の研究報告を紹介するブログ

脳卒中後の歩行能力を予測する有効な評価方法とは?

 

 脳卒中後の歩行能力に対して、どのような評価方法を用いるのがもっとも有効なのでしょうか?

 

 この疑問の答えとして、とても興味深い報告が雑誌Stokeの2017年1月号に掲載されていたので、ご紹介しながら考えてみたいと思います。

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 脳卒中後の歩行能力の低下は、生活範囲の狭小化を招き、QOL(Quality of life)を大きく損ねさせます(Perry J, 1995)。家に閉じこもり、買い物にも行けず、友人にも会えないというのは誰しも辛いことです。

 

 そのため、歩行能力を改善させることはリハビリテーションの主な目的であり、より有効な評価、治療の検討が日々、なされています。

 

 そして現在、もっとも使用されている歩行能力の評価方法が「歩行速度」です。

 

 1995年、Perryらは、歩行速度により屋内の日常生活や屋外での歩行能力を細かに分類した研究を報告しました。歩行速度が0.4m/s以下では外出は困難であること、0.4-0.8m/sでは屋外歩行は可能ですが、近所のお店などに制限されること、0.8m/s位以上であれば不自由なく外出することができることを示しました(Perry J, 1995)。

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Fig 1:Perry J, 1995より引用改変

 

 さらにSchmidらは、Perryらの分類をもとに、歩行速度を改善させることが脳卒中後のQOLを高めることを明らかにしました(Schmid A, 2007)。

脳卒中後の歩行速度とQOL

 

 このような背景から、現在では「歩行速度」が脳卒中後の歩行能力に関する研究の主要アウトカム(Primary outcome)であり、臨床の主要な評価指標として用いられるようになっているのです。

 

 しかし、これに疑義を唱えた研究者がいます。アメリカ・クラークソン大学のFulkらです。Fulkらは、雑誌Strokeの2017年1月号に論拠なる研究結果を掲載しました。

 

 Fulkらはこのように述べています。

 

 「脳卒中後の歩行能力は、歩行速度ではなく、歩行耐久性、バランス能力、そして運動機能を合わせて評価するべきである」



◆ 歩行能力=6分間歩行+BBS+Fugel Meyer?

 

 それでは、Fulkらの論拠を見ていきましょう。

www.ncbi.nlm.nih.gov

 

 Fulkらは、過去に行われた研究であるLEAPS(Duncan PW, 2011)とFASTEST(Kluding PM, 2013)のデータをもとに二次的な横断研究を行いました。

*LEAPS(Locomotor Experience Applied Post-Stroke)、FASTEST(Functional Ambulation: Standard Treatment vs Electrical Stimulation)

 

 対象は慢性期の脳卒中患者441名であり、Perryらが行った歩行速度による歩行能力の分類ではなく、Tudor-Lockeらが提唱する歩数による分類(Tudor-Locke C, 2004, 2008, 2009)を用いて、歩行能力を4つのグループに分けました。

 

 Fulkらは、Tudor-Lockeらの分類を採用した理由として、電子活動計を用いて、実際の歩数と活動範囲を測定しており、歩行速度と外出のアンケートをもとにしたPerryらの研究よりも「よりリアルな歩行活動」を示しているためと述べています。

 

 歩行能力の分類は以下のようになりました。

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Fig.2:Fulk GD, 2017より引用改変

 

 これらの4つの分類のもと、6つのアウトカムにより歩行能力を示す精度の高い評価方法をROC解析にて検証しました。

 

アウトカム

・快適歩行速度(CGS:Comfortable gait speed)

・最大歩行速度(MGS:Maximam gait speed)

・6分間歩行テスト(6MWT:6-minute walking test)

・バランススケール(BBS:Berg balance scale)

・運動機能:FM(Fugl Meyer)

・運動機能:SIS(Stroke impact scale)

 

 ROC解析の結果より、歩行能力の予測・診断能を示すAUC(Area under the curve)がもっとも高い値を示したのは、6分間歩行とBBSと運動機能(FM)を合わせた場合(AUC0.836)でした。この組み合わせの感度・特異度はそれぞれ70%、85%であり、他のアウトカムよりも高い値を示しました。

 

 次いでAUCの高い値は、6分間歩行、BBS、運動機能(FM)、快適歩行速度の順でした。

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Fig.3:Fulk GD, 2017より引用

 

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Fig.4:Fulk GD, 2017より引用

 

 この結果から、脳卒中後の歩行能力を表すもっとも有効な評価方法は、6分間歩行とBBSと運動機能(FM)を合わせて解釈することであることがわかったのです。

 

 また、単一の評価方法では、快適歩行速度よりも6分間歩行テストのほうが評価としての精度が高いことも明らかになりました。6分間歩行のカットオフ値としては、屋内歩行(<205m)、制限のある屋外歩行(205-228m)、制限のない屋外歩行(≧228m)としています。

 

 さらに、快適歩行速度において、Perryらの提唱する歩行速度が過大評価している可能性も示されました。今回の研究結果で得られた快適歩行速度による歩行能力を予測する値がPerryらの値より厳しいものだったのです。逆に言うと、Perryらの値は「あまい」ということになります。

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Fig.5:Fulk GD, 2017をもとに筆者作成

 

 これらの結果から、脳卒中後の歩行能力を予測、判断するもっとも有効な評価方法は、6分間歩行+BBS+Fugel Meyerの組み合わせであることが示唆されました。単独の評価では快適歩行速度よりも6分間歩行がもっとも有効であることもわかりました。

 

 歩行能力と歩行速度に関する研究は多くありますが、そのアウトカムに歩行耐久性を含めたものはありません。今回の研究では、初めて歩行速度よりも歩行耐久性が脳卒中後の歩行能力を示す評価方法として優れていることを明らかにしたのです。

 

 Fulkらは、臨床では、歩行速度よりも6分間歩行のような歩行耐久性を主に評価し、さらにはバランス評価、運動機能を合わせることで、より歩行能力の評価精度を高めることができると述べています。 

 

 そして最後に「脳卒中後の歩行能力は、歩行速度ではなく、歩行耐久性、バランス能力、そして運動機能を合わせて評価するべきである」と結論づけているのです。



◆ Fulkらの報告をどのように解釈すればいいのか?

 

 脳卒中後の歩行能力=6分間歩行+BBS+運動機能(FM)というFulkの研究結果は臨床上、とても参考になります。しかし、論文を読んでいて、その結果以上に考察がとても印象的でした。

 

 Fulkらは、とても興味深い結果を示したのですが、根本的には歩行能力を詳細に予測、判断するのは難しいと述べています。その理由としてShumway-Cookらの報告を引用し、脳卒中後の歩行能力は、個人の運動機能と環境、移動における文脈的な因子を含む複合的な行動であるためとしています(Shumway-Cook A, 2002)。

 

 また、近年の報告された、脳卒中後の外出には、バランスに関する自己効力感(Schmid AA, 2012)や転倒恐怖感などの心理的な因子も大きく影響する(Danks KA, 2016)ことも引用しています。

 

 これらのことから、歩行速度か?6分間歩行か?という二元論ではなく、対象となる患者さんの屋内環境、外出環境、心理面などの評価も合わせて、必要なる評価項目を包括的に実施することの必要性を論じているのです。

 

 

 個人的には、歩行能力の評価では、患者さんのニーズや価値観にもとづき、歩行能力に関する各評価方法の知見から必要となる評価項目を取捨選択し、環境に合わせた介入による仮説検証を行い、患者さんの満足度を高めることが、私たちセラピストに求められていることと感じています。

 

 そのためにもFulkらの報告のような歩行能力と評価方法に関する知見を多く知っておくことが必要なのでしょう。

 

 

References

Perry J, et al. Classification of walking handicap in the stroke population. Stroke. 1995 Jun;26(6):982-9.

Schmid A, et al. Improvements in speed-based gait classifications are meaningful. Stroke. 2007 Jul;38(7):2096-100.

Fulk GD, et al. Predicting Home and Community Walking Activity Post-Stroke. Stroke. 2017 Jan 5. pii: STROKEAHA.116.015309.

Duncan PW, et al. Body-weight-supported treadmill rehabilitation after stroke. N Engl J Med. 2011 May 26;364(21):2026-36.

Kluding PM, et al. Foot drop stimulation versus ankle foot orthosis after stroke: 30-week outcomes. Stroke. 2013 Jun;44(6):1660-9.

Tudor-Locke C, et al. How many steps/day are enough? Preliminary pedometer indices for public health. Sports Med. 2004;34(1):1-8.

Tudor-Locke C, et al. Accelerometer-determined steps per day in US adults. Med Sci Sports Exerc. 2009 Jul;41(7):1384-91.

Tudor-Locke C, et al. Revisiting "how many steps are enough?". Med Sci Sports Exerc. 2008 Jul;40(7 Suppl):S537-43.

Shumway-Cook A, et al. Environmental demands associated with community mobility in older adults with and without mobility disabilities. Phys Ther. 2002 Jul;82(7):670-81.

Schmid AA, et al. Balance and balance self-efficacy are associated with activity and participation after stroke: a cross-sectional study in people with chronic stroke. Arch Phys Med Rehabil. 2012 Jun;93(6):1101-7.

Danks KA, et al. Relationship Between Walking Capacity, Biopsychosocial Factors, Self-efficacy, and Walking Activity in Persons Poststroke. J Neurol Phys Ther. 2016 Oct;40(4):232-8.

荷重感覚が歩行時の足部の運動を促通する

 

 今日(10月30日)、宇宙飛行士の大西さんが国際宇宙ステーションでの滞在を終えて帰還されました。宇宙での滞在期間は116日にも及んだそうですが、今では長期滞在が当たり前なので、あまりニュースでも報じられなくなってしまいましたね…

 

 さて、今回は、宇宙と関わりのある「重力」の観点から、歩行に必要な感覚入力について考察してみましょう。

 

 

◆ 帰還した宇宙飛行士は転びやすい

 

 ヒトの歩行工学から開発された二足歩行ロボットは、何の動力源がなくても重力と慣性力のみで13時間以上、歩き続けることができます。狩猟時代、ヒトは長い距離を歩いて、移住しながら狩りをしなければなりませんでした。そのため、重力を効率的に利用する現在の二足歩行に最適化されてきたのです。

 

 では、重力のない宇宙空間での長期滞在により、ヒトの歩行にはどのような変化がおきるのでしょうか?

 

 2011年までのスペースシャトルの飛行期間はおおむね14日程度でしたが、国際宇宙ステーション(International Space StationISS)での長期滞在が始まると、その滞在期間は約半年間にもなりました。

 

 ヒトの宇宙活動にかかわる医学的問題の解明と対処方法を確立する学問を宇宙医学と言いますが、ISSでの有人宇宙活動が長期化するにつれて、その注目度が増しています。

 

 そして宇宙医学の知見が、歩行に必要な感覚入力の重要性を教えてくれるのです。

 

 宇宙医学の発展にともない、無重力によって生じる筋力低下や骨量低下への対応方法も研究されてきました。現在では、無重力環境でも使用できるトレッドミルや自転車エルゴメーター、抵抗運動装置がISSで用いられています。

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図1:ISSサイトより引用 

 

 このような装置を用いることによって、ISSに6ヶ月滞在しても下肢筋力を維持することが可能となり、さらには滞在前よりも強化された事例も報告されています(NASA HRP, 2014)。

 

 しかし、帰還後の宇宙飛行士には、筋力とは「別」の問題が生じていることがNASAのMillerらにより報告されました。Millerらは、帰還した宇宙飛行士の歩行分析を行った結果、遊脚期のトゥクリアランス(つま先と床の距離)が不良になり、転倒のリスクが高くなることを明らかにしたのです(Miller CA, 2010)。

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 Fig.1:Miller CA, 2010より引用(サンプルデータ)

 

 また、帰還後の宇宙飛行士にFunctional Mobility Testという障害路を歩行させる研究では、多くの宇宙飛行士が障害物をまたぐ際につまずき、減点が認められたと報告されています(Mulavara AP, 2010)。

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Fig.2:Mulavara AP, 2010より引用(Functional Mobility Test)

 

 宇宙飛行士の下肢の筋力は、トレーニング機器の開発により足部の周囲筋も含めて維持することが可能となりました。では、なぜ、帰還後の宇宙飛行士はつまずいたり、転びやすくなるのでしょうか?

 

 Millerらは、帰還後の歩行時の足部の運動機能低下について、無重力空間での長期滞在による「歩行特有の荷重感覚の欠如」が原因であると推測しました。

 

 

◆ 荷重感覚は歩行時の足部の動きを誘発する

 

 Millerらの問題提起を実証したのが、ロシア科学アカデミーのGerasimenkoらの研究です。

 

 Gerasimenkoらは、ヒトのCPG(Central pattern generator)に対する感覚入力の影響ついて研究を重ねてきました。

 

 ヒトのCPGの存在は1998年のDimitrijevicらにより報告されています。Dimitrigevicらは、健常者の腰部に針電極を刺し、電気刺激を加えることで下肢のステッピング様の運動が誘発できることを明らかにしました(Dimitrijevic MR, 1998)。

CPGについて考えよう

 

 しかし、Dimitrijevicらの研究は、針電極を用いる侵襲的な研究デザインのため、被験者を募ることが困難であり、感覚入力の影響などを調べる応用的な研究には発展しませんでした。これに対して、Gerasimenkoらは、脊髄への非侵襲的な電気刺激によりステッピング運動を誘発することに成功したのです。

 

 健常者を対象に、下部胸椎〜上部腰椎への経皮的電気刺激を行うことによって、下肢のステッピング運動とともに下肢筋の筋活動を導出しました。その結果、電気刺激の強度に応じて下肢のステッピング運動と筋活動の増加が認められ、非侵襲的にヒトのCPGを誘発できることが示されました(Gerasimenko Y, 2015)。

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Fig.3:Gerasimenko Y, 2015より引用

 

 次に、Gerasimenkoらは、CPGを補完する感覚入力を明らかにする実験を行いました。感覚入力は過去の研究でも報告されている荷重感覚に注目し、脊髄への電気刺激に、足底への圧刺激を加えて、誘発されるステッピング運動の変化を分析しました。

 

 健常者を対象として、トレッドミル上で①脊髄への電気刺激、②足底への圧刺激、③両方の刺激を与えました。その結果、脊髄への電気刺激によりハムストリングスの筋収縮が誘発され、股関節と膝関節のステッピング様の運動が見られました。足底への圧刺激では、前脛骨筋と内側の腓腹筋の筋活動が誘発され、足関節の運動が認められました。両方の刺激を組み合わせると下肢全体の筋活動が増加し、ステッピング運動が大きくなるとともに、特に足部の筋活動と底背屈運動が著しく増加することが示されました。

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Fig.4:Gerasimenko Y, 2016より引用改変

 

 この結果から、脊髄への電気刺激はCPGによる股関節、膝関節のステッピング運動を誘発し、足底への圧刺激は足部の運動を誘発することが示唆されました。両方の刺激を同時に与えることで、さらにステッピング運動は増強され、足部の筋活動がより促通されることがわかったのです。

 

 Gerasimenkoらは、足底への圧刺激となる歩行時の荷重感覚は、CPGによる股関節、膝関節のステッピング運動に足関節の運動を補完させる作用があり、荷重感覚の入力は歩行時の足部の運動を促通すると結論づけています(Gerasimenko Y, 2016)。

 

 

 NASAのMillerらは、その後の研究会で、Gerasimenkoらの研究結果を引用し、宇宙飛行士の帰還後に見られる歩行時のトゥクリアランスの低下は、無重力空間の長期滞在による「荷重感覚の欠如」が生じた結果であると述べています。

 

 また、NASAで行われた90日間の長期臥床の実験では、長期臥床が大脳皮質運動野の下肢領域の興奮性を低下させることが報告されています(Roberts DR, 2010)。Millerらは、無重力空間による歩行特有の荷重感覚の欠如が、中枢神経系の可塑的変化を生じさせ、重力空間である地球に帰還した宇宙飛行士は、歩行時の足部の運動機能が低下し、転びやすくなると考察しました。

 

 これらの知見は、私たちに歩行における荷重感覚の重要性を教えてくれています。Gerasimenkoらは、臨床においても、歩行時の立脚期の荷重感覚の入力が、その後の遊脚期の足部のクリアランスに寄与する可能性について論じています。この知見は歩行へのアプローチの参考になるでしょう。

 

 二足歩行を獲得した400万前の世界には平地がほとんどありません。ヒトは凸凹の地面をつまずくことなく歩かなければなりませんでした。重力に抗して、このような地形に適応して歩くために、ヒトは足部の運動を発達させていったのかもしれませんね。 

 

 

References

NASA Human Research Program 2014 Fiscal Year Annual Report

Miller CA, et al. Changes in toe clearance during treadmill walking after long-duration spaceflight. Aviat Space Environ Med. 2010 Oct;81(10):919-28.

Mulavara AP, et al. Locomotor function after long-duration space flight: effects and motor learning during recovery. Exp Brain Res. 2010 May;202(3):649-59.

Dimitrijevic MR, et al. Evidence for a spinal central pattern generator in humans. Ann N Y Acad Sci. 1998 Nov 16;860:360-76.

Gerasimenko Y, et al. Transcutaneous electrical spinal-cord stimulation in humans. Ann Phys Rehabil Med. 2015 Sep;58(4):225-31.

Gerasimenko Y, et al. Integration of sensory, spinal, and volitional descending inputs in regulation of human locomotion. J Neurophysiol. 2016 Jul 1;116(1):98-105.

Roberts DR, et al. Cerebral cortex plasticity after 90 days of bed rest: data from TMS and fMRI. Aviat Space Environ Med. 2010 Jan;81(1):30-40.

脳卒中後の歩行速度、歩行耐久性を改善させるシンプルな方法

 

  現代の生体力学(バイオメカニクス)研究では、脳卒中後の歩行速度、歩行耐久性を規定する決定因子を明らかにし、有効な歩行介入の方法論にまで示唆を与えてくれています。

 

 今回は、生体力学が教える脳卒中後の歩行能力を改善させるシンプルな方法について、近年の研究報告をご紹介していきましょう。

 

 

◆ 歩行速度と歩行耐久性を規定する決定因子

 

 1990年代の研究により、速く歩くためには推進力を高めることが必要であり、推進力の増加には足関節底屈筋の筋活動が大きく関与していることが示されました。さらに、脳卒中後の歩行速度の改善には、麻痺側下肢の推進力の改善が寄与していることが示唆されています。

生体力学が教える速く歩くためのポイント

 

 2010年以降になると、脳卒中後の歩行速度の改善に関わるもうひとつの因子が発見されました。2010年に発表されたPetersonらの研究によって、麻痺側下肢の推進力は立脚後期の下肢の角度(Trailing limb angle:TLA)に依存することが明らかになったのです。

 

 これらの知見をもとに、デラウェア大学のHsiaoらは歩行速度を規定する方程式を示しました。

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Fig.1:Hsiao H, 2015より引用改変

 

 ここで足関節中心とCOPの距離であるdの値を一定とすると、歩行速度は、麻痺側下肢の推進力とTLAによって規定されるとHsiaoらは結論づけました。

生体力学が教える速く歩くためのポイント②



 脳卒中後の歩行速度は、麻痺側下肢の推進力とTLAにより規定されるのです。

 

 では、脳卒中後の歩行耐久性は何によって規定されるのでしょうか?

 

 2015年、デラウェア大学のAwadらの研究によって、脳卒中後の歩行耐久性の因子は、麻痺側下肢の推進力とTLAあることが示唆されています。麻痺側下肢の推進力とTLAの改善が脳卒中患者の6分間歩行の改善因子であることが示されました。

 

 歩行耐久性を規定する要素も歩行速度と同じように、麻痺側下肢の推進力とTLAであることが明らかになりつつあります。

脳卒中患者さんが長く歩けるようになるためのポイント

 

 そして近年では、脳卒中後の歩行練習において、麻痺側下肢の推進力とTLAにフォーカスした介入研究の結果が報告されています。

 

 

脳卒中後の歩行能力を改善させるシンプルな方法

 

 現代の生体力学研究は、脳卒中後の歩行速度、歩行耐久性を改善させる方法をひとことで示しています。

 

 「速く歩く練習をすること」

 

 歩行の運動学習は、適応的学習(adaptation learning)にもとづきます。適応的学習は、上肢のスキル学習(skill learning)のような意識的に新たな技術を習得する顕在的学習とは異なり、生得的に獲得している動作を求められる環境に無意識下で適応させる潜在的学習のことをいいます。

歩行を速く適応させる2つの方法

歩行を速く適応させる2つの方法 その2

 

 歩行の運動学習において、推進力を高めようとして「床を強く蹴るように歩いてください」という指導や、TLAを改善しようとして「歩幅を大きくして歩くようにして下さい」という意識的で顕在的な介入では適応効果は低いのです。

 

 速く歩くことは、推進力を形成する腓腹筋、ヒラメ筋の筋活動を潜在的に高めます(Liu MQ, 2008)。

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Fig.2:Liu MQ, 2008より引用改変

 

 そして歩幅が広がるため、潜在的にTLAが大きくなります(Peterson CL, 2010)。

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Fig.3:Peterson CL, 2010より引用 *Leg angle=TLA

 

 2015年、デラウェア大学のHsiaoらは、自立歩行が可能な脳卒中患者45名を対象に、12週間の歩行練習による足関節の底屈筋力(モーメント)とTLAの改善効果について検証しました。

 

 対象者は、快適な速度で歩行練習をするグループ、速い速度で歩行練習をするグループ、足関節底屈筋に機能的電気刺激(FES)を行いながら速い速度で歩行練習をするグループの3つに分けられました。歩行練習は1日6分間を6セット、週3日、12週間行われました。

 

 その結果、麻痺側足関節の底屈筋力とTLAは、速い歩行グループとFES+速い歩行グループで改善が示されました。また、足関節の底屈筋力のみFES+速い歩行グループで有意差を認めました(Hsiao H, 2015)。

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Fig.4:Hsiao H, 2015より引用改変

 

 脳卒中後の歩行練習において、速く歩く練習は麻痺側足関節の底屈筋力とTLAを改善させ、さらにFESを付加することによって、麻痺側足関節の底屈筋力を特異的に改善できることが示唆されているのです。

 

 また、歩行耐久性に対する介入研究では、Awadらが興味深い報告をしています。

 

 2015年、Awadらは速く歩く練習による歩行耐久性への効果をRCTにて検証しました。

 

 50名の歩行可能な脳卒中患者を歩行練習別に3つのグループに分けました。歩行練習は前述したHsiaoらの報告と同じよに、快適な速度で歩く練習、速い速度で歩く練習、FESを行いながら速い速度で歩く練習としています。これらの練習を12週間行い、練習前、練習後、練習後3ヶ月のそれぞれで、6分間歩行、歩行時のエネルギーコストを計測しました。

 

 その結果、速く歩く練習を行ったグループ、FESを行いながら速く歩く練習を行ったグループで練習後の6分間歩行距離の増加、歩行時のエネルギーコストの減少が示され、3ヶ月後においても維持されることが明らかになりました。

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Fig.5:Awad LN, 2015より引用改変

 

 Awardらは、速く歩く練習が歩行耐久性の改善に有効であるとして、速く歩く練習による麻痺側下肢の推進力とTLAの増加が、歩行時のエネルギー効率を改善させ、歩行耐久性の向上に寄与したと推測しています。

 

 また、歩行耐久性の向上には、長い距離を歩く練習のみでなく、速く歩く練習を合わせて行うことを推奨しています(Awad LN, 2015)。

 

 これらの研究結果から、生体力学研究は、脳卒中後の歩行速度、歩行耐久性の向上に「速く歩く練習」が有効であるといっています。

 

 もちろん、これは単に速く歩けば良いという短絡的なメッセージではありません。

 

 脳卒中後の歩行介入では、麻痺側下肢の推進力、TLAをひとつのランドマークとして評価し、患者さんの適応に合わせて、必要であれば歩行の運動学習として速く歩く練習を取り入れることが有用である、ということです。

 

 脳卒中後の歩行速度、歩行耐久性の改善に対して、生体力学研究はアプローチの方向性を示してくれています。これらの知見を臨床で考えるきっかけにしても良いかもしれませんね。

 

 

歩行のしくみとリハビリテーション

歩行のしくみ①:CPGについて考えよう

歩行のしくみ②:歩行適応について考える 

歩行のしくみ③:歩行適応の神経メカニズム

歩行のしくみ④:歩行を早く適応させる2つの方法

歩行のしくみ⑤:歩行を早く適応させる2つの方法・その2

歩行のしくみ⑥:歩行の起源

歩行のしくみ⑦:歩き方をデザインする基準

歩行のしくみ⑧:歩行適応における踵接地の役割 

歩行のしくみ⑨:加齢により歩行の適応能力は変化する?①

歩行のしくみ⑩:加齢により歩行の適応能力は変化する?②

歩行のしくみ⑪:歩行速度で余命を予測しよう

歩行のしくみ⑫:歩行速度で転倒リスクを予測しよう

歩行のしくみ⑬:脳卒中後の歩行速度とQOL

歩行のしくみ⑭:生体力学が教える速く歩くためのポイント 

歩行のしくみ⑮:生体力学が教える速く歩くためのポイント②

歩行のしくみ⑯:脳卒中の発症部位と歩行速度

歩行のしくみ⑰:ヒトの皮質網様体路と歩行制御

歩行のしくみ⑱:ステップ動作の予測的姿勢制御を理解しよう!

歩行のしくみ⑳:脳卒中患者さんが長い距離を歩けるようになるためのポイント

歩行のしくみ㉑:脳卒中後の歩行速度、歩行耐久性を改善させるシンプルな方法

 

Referense

Liu MQ, et al. Muscle contributions to support and progression over a range of walking speeds. J Biomech. 2008 Nov 14;41(15):3243-52.

Peterson CL, et al. Leg extension is an important predictor of paretic leg propulsion in hemiparetic walking. Gait Posture. 2010 Oct;32(4):451-6.

Hsiao H, et al. Mechanisms used to increase peak propulsive force following 12-weeks of gait training in individuals poststroke. J Biomech. 2016 Feb 8;49(3):388-95.

Awad LN, et al. Reducing The Cost of Transport and Increasing Walking Distance After Stroke: A Randomized Controlled Trial on Fast Locomotor Training Combined With Functional Electrical Stimulation. Neurorehabil Neural Repair. 2016 Aug;30(7):661-70. 

脳卒中後の歩行距離を伸ばすためのポイント

 

  友人との買い物、恋人とのデート、家族とのお出かけ、どれも楽しいですよね。私たちは他者との関わり合いの中から「幸せ」を感じます。なぜなら、ヒトは社会的な動物だからです。

社会心理学が教える幸せの方程式

 

 他者との社会的活動を共有するためには、「外出」できることが必要条件となります。しかし、病気になると外出することが制限されることがあります。

 

 特に、歩くことが障害されやすい脳卒中後の患者さんでは、健常者に比べて1日の歩数が大きく減ってしまうことが明らかになっています。

 

 ディスクワーク中心の仕事をしている健常成人の1日の平均歩数が5000〜6000歩であるのに対して、脳卒中患者さんは平均3000歩とより少ない傾向が示されています(Michael KM, 2005)。

 

 これは、脳卒中後の歩行障害によって、歩行時のエネルギーコストが大きくなってしまうからです(Olney SJ, 1996)。

 

 そのため脳卒中後の患者さんは、近所の友達に会いに行ったり、出かけるといった地域参加が制限されやすいのです。

 

 リハビリテーションでは、脳卒中後のQOLを高めるためにも、地域参加の機会を増やすことがことが求められており、歩行耐久性の改善が研究分野においても大きなイシューになっています。

 

table of contents

 

 

◆ 歩行耐久性を向上させるポイント

 

 2015年、デラウェア大学のAwadらは、歩行耐久性に関する運動学的な因子を明らかにする研究結果の報告をしています。

 

 発症から6ヶ月以上が経過した慢性脳卒中患者45名を対象に、6分間歩行の距離と下肢の運動学的因子(麻痺側下肢の推進力や関節角度など)を計測しました。その後、12週間のリハビリを行い、6分間歩行距離の改善にどのような下肢の運動学的因子が関与しているかを統計解析しました。

 

 その結果、6分間歩行距離に最も関与してい運動学的因子は、麻痺側下肢の推進力と麻痺側下肢の立脚後期の角度(Trailing limb angle:TLA)であることわかったのです。

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Fig.1:Awad LN, 2015より筆者作成

 

 さらに、6分間歩行距離の変化と推進力、TLAの関係を見てみると興味深いことがわかりました。

 

 もともと麻痺側下肢の推進力が高い患者さんの場合、6分間歩行距離の増加にTLAの改善が大きく寄与していたのです。

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Fig.2:Awad LN, 2015より筆者作成


 Awardらの報告は、脳卒中患者の6分間歩行距離の改善に関与する因子は、麻痺側下肢の推進力とTLAであること、麻痺側下肢の推進力を効率的に生かすためには、TLAの改善が不可欠であることを示唆しています(Awad LN, 2015)。

 

 TLAの角度が少ない場合、麻痺側下肢の推進力が大きくても、推進力を効率よく前方へ進む力に生かすことができません。TLAの角度を増大させることによって、麻痺側下肢の推進力を効率的に前方へ進む力に変えることができるのです。そのため、歩行のエネルギーコストが少なくなり、歩行の耐久性が向上すると推測されています。

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 脳卒中患者さんの歩行耐久性を改善させるためのポイントは、「麻痺側下肢の推進力」と「麻痺側下肢の立脚後期の角度(TLA)」なのです。

 

 

◆ 外出するためには歩行速度と歩行耐久性が必要

 

 以前より、脳卒中患者さんが外出するための重要な因子は、「歩行速度」であることが明らかになっていました。歩行速度の改善が脳卒中後の外出頻度とQOLに関与しているのです。

脳卒中後の歩行速度とQOL

 

 さらに近年では、歩行速度だけでなく、歩行の耐久性も脳卒中後の外出頻度を高める重要な因子であることがわかってきました(Combs SA, 2013)。

 

 脳卒中後の地域参加には歩行速度と歩行耐久性の改善が必要となるのです。

 

 歩行速度の増加には「麻痺側下肢の推進力」と「TLA」の改善が寄与することがわかっています。

生体力学が教える速く歩くためのポイント

生体力学が教える速く歩くためのポイント②

 

 そして今回の研究結果から、歩行耐久性の改善にも、歩行速度と同じように「麻痺側下肢の推進力」と「TLA」の改善が寄与することが明らかになったのです。

 

 「麻痺側下肢の推進力」と「TLA」は脳卒中後の歩行能力の改善とともにQOLの改善においても重要なKey wordsになるのかもしれませんね。

 

 次回は、この麻痺側下肢の推進力とTLAを改善する方法についてご紹介する予定です。



◆ 読んでおきたい記事

歩行のしくみ①:CPGについて考えよう

歩行のしくみ②:歩行適応について考える 

歩行のしくみ③:歩行適応の神経メカニズム

歩行のしくみ④:歩行を早く適応させる2つの方法

歩行のしくみ⑤:歩行を早く適応させる2つの方法・その2

歩行のしくみ⑥:歩行の起源

歩行のしくみ⑦:歩き方をデザインする基準

歩行のしくみ⑧:歩行適応における踵接地の役割 

歩行のしくみ⑨:加齢により歩行の適応能力は変化する?①

歩行のしくみ⑩:加齢により歩行の適応能力は変化する?②

歩行のしくみ⑪:歩行速度で余命を予測しよう

歩行のしくみ⑫:歩行速度で転倒リスクを予測しよう

歩行のしくみ⑬:脳卒中後の歩行速度とQOL

歩行のしくみ⑭:生体力学が教える速く歩くためのポイント 

歩行のしくみ⑮:生体力学が教える速く歩くためのポイント②

歩行のしくみ⑯:脳卒中の発症部位と歩行速度

歩行のしくみ⑰:ヒトの皮質網様体路と歩行制御

歩行のしくみ⑱:ステップ動作の予測的姿勢制御を理解しよう!

歩行のしくみ⑳:脳卒中後の歩行距離を伸ばすためのポイント

 

Reference

Michael KM, et al. Reduced ambulatory activity after stroke: the role of balance, gait, and cardiovascular fitness. Arch Phys Med Rehabil. 2005 Aug;86(8):1552-6.

Olney SJ, et al. Hemiparetic gait following stroke. Part I: characteristics. Gait Posture. 1996;  4:136–148.

Awad LN, et al. Paretic Propulsion and Trailing Limb Angle Are Key Determinants of Long-Distance Walking Function After Stroke. Neurorehabil Neural Repair. 2015 Jul;29(6):499-508.

Combs SA, et al. Is walking faster or walking farther more important to persons with chronic stroke? Disabil Rehabil. 2013 May;35(10):860-7.

 

ステップ動作の予測的姿勢制御を理解しよう!

 

 生体力学が言う安定した立位とは、身体重心(Center of mass:COM)が足圧中心(Center of pressure:COP)の真上に保たれている状態のことです。手のひらで棒を立ててバランスをとる場面を想像するとわかりやすですね。

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 立位で上肢を挙上させるとCOMを前方へ移動させようとする慣性の力が生じます。COMが前方に移動するとCOPから逸脱してしまうため、体が前に倒れてしまいます。これでは安定して上肢を挙上することができないので、上肢を挙上する前から脊柱起立筋やハムストリングスなどの筋を活動させてCOMの前方移動を防ぐ姿勢制御が働いているのです。この動作に先行する姿勢制御を予測的姿勢制御(anticipatory postural adjustments:APA)と言います。

 

 そして立位での上肢の挙上動作の予測姿勢制御には大脳皮質の補足運動野(SMA)が関与していることが脳波研究により示されています。

ヒトの大脳皮質と予測的姿勢制御 ①

 

 では、立位での下肢のステップ動作ではどのような予測的姿勢制御が働き、それは大脳皮質のどの部位が関与しているのでしょうか?

 今回は、ステップ動作の予測的姿勢制御のしくみを簡単に理解していきましょう。

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 左足を一歩前に出す場面をイメージして下さい。左足を前に出すためには、重心(COM)を右足に乗せることは容易にイメージできると思います。では、その際のCOPの移動の軌跡を見てみましょう。

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 左足を一歩前に出すのに、足圧の中心であるCOPは一度、左足の踵のほうへ移動し、その後に右足に移動していきます。この左足に足圧を移動させることがステップ動作の予測的姿勢制御であり、いわゆる逆応答現象と言われています(Cau N, 2014)。

 

 では、なぜ、支持する右足ではなく、逆の振りだす左足にCOPを移動させる必要があるのでしょうか?

 

 私たちの歩行が適応する基準は「歩きやすさ」です。歩く速度がそれぞれの人によって異なるように、身体の状態に合わせて、もっとも歩きやすい(身体にとって快適な)速度が無意識下に規定されいるのです。

歩き方をデザインする基準

 

 歩行を獲得した400万年前、ヒトは少ない食料(エネルギー)で長距離を移動しなければなりませんでした。生き延び、子孫を残すためにはエネルギーを節約した歩容に適応する必要があり、進化の過程で自然選択されてきたのです。

歩行の起源

 

 このような進化の形はステップ動作にも反映されています。

 

 COP上にCOMが位置する安定した立位から左足を一歩前に出すためには、COMを右足側に移動させ、さらに前方へ移動させていく必要があります。

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 このようなCOMの移動は筋活動により行えますが、もっと省エネする方法はないのでしょうか?

 

 手のひらに乗せた棒をイメージしてみましょう。この棒を前方へ倒すためにはどのようにしたら良いでしょうか?手前に手のひらを引けばいいんですよね。そうすることでCOMがCOPの前方に逸脱するため、棒は勝手に前へ倒れてくれるのです。

 

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  では、今度は棒を横方向へ倒すためにはどうしたら良いでしょうか?これも同じように反対側へ手のひらを動かせばCOMがCOPの側方へ逸脱して勝手に側方へ倒れてくれます。

 

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 もう一度、左足をステップする際のCOMとCOPの移動の軌跡を見てみましょう。

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 安定した立位ではCOP上にCOMが位置しています。左足を一歩、前に出すためにはCOMを前方および右側へ移動させなければなりません。その際、事前にCOPを左足の踵方向へ移動させることによってCOMを前方および右側へ逸脱させることができます。すると手のひらの棒と同じように身体が勝手に前方および右側へ倒れるのです。身体が倒れるとCOMも移動するので無駄な筋活動を使わずに省エネ化したステップが行えるのです。これがステップ動作の予測的姿勢制御のメカニズムなんですね。

 

 ヒトの身体はミリ秒単位でこのような姿勢制御を行うことによって、意識せず、努力せずに歩き出すことができているのです。



◆ すくみ足のメカニズム

 

 ステップ動作の予測的姿勢制御が損なわれると歩き始めの一歩が出づらくなります。その症状の代表がパーキンソン病の「すくみ足(Freezing of gait)」です。

 

 パーキンソン患者のステップ動作のCOPの移動の奇跡を健常者と比べてみましょう。下の図はFernandezらが行ったパーキンソン患者と本態性振戦患者のステップ動作時のCOPの軌跡を健常者と比べたものです。

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Fig.1:Fernandez KM, 2013より引用改変

 

 健常者に比べて特にパーキンソン患者では後方へのCOPの移動が少ないことがわかります。そのため、ステップに必要となるCOMの前方移動が難しくなり、足が出にくくなるのです。これがすくみ足のメカニズムになります。

 

 

 では、このようなステップ動作の予測的姿勢制御に大脳皮質は関与しているのでしょうか?

 次回はステップ動作時の脳波研究の知見をご紹介していきます。そこから予測姿勢制御に対する神経活動の課題特異性が垣間見れます。予測的姿勢制御の課題によって神経活動が異なるという知見は臨床に応用できるかもしれません。

 

 

姿勢制御のしくみとリハビリテーション

シリーズ①:小脳の障害像と損傷部位の関係を理解しよう

シリーズ②:ロンベルグ試験から立位姿勢制御のしくみを理解しよう

シリーズ③:ヒトの皮質網様体路と姿勢制御 ①

シリーズ④:ヒトの皮質網様体路と姿勢制御 ②

シリーズ⑤:ヒトの大脳皮質と姿勢制御 ①

シリーズ⑥:ヒトの大脳皮質と姿勢制御 ②

シリーズ⑦:ヒトの大脳皮質と予測的姿勢制御 ①

シリーズ⑧:ステップ動作の予測的姿勢制御を理解しよう!

 

歩行のしくみとリハビリテーション

歩行のしくみ①:CPGについて考えよう

歩行のしくみ②:歩行適応について考える 

歩行のしくみ③:歩行適応の神経メカニズム

歩行のしくみ④:歩行を早く適応させる2つの方法

歩行のしくみ⑤:歩行を早く適応させる2つの方法・その2

歩行のしくみ⑥:歩行の起源

歩行のしくみ⑦:歩き方をデザインする基準

歩行のしくみ⑧:歩行適応における踵接地の役割 

歩行のしくみ⑨:加齢により歩行の適応能力は変化する?①

歩行のしくみ⑩:加齢により歩行の適応能力は変化する?②

歩行のしくみ⑪:歩行速度で余命を予測しよう

歩行のしくみ⑫:歩行速度で転倒リスクを予測しよう

歩行のしくみ⑬:脳卒中後の歩行速度とQOL

歩行のしくみ⑭:生体力学が教える速く歩くためのポイント 

歩行のしくみ⑮:生体力学が教える速く歩くためのポイント②

歩行のしくみ⑯:脳卒中の発症部位と歩行速度

歩行のしくみ⑰:ヒトの皮質網様体路と歩行制御

歩行のしくみ⑱:ステップ動作の予測的姿勢制御を理解しよう!

 

Reference

Cau N, et al. Center of pressure displacements during gait initiation in individuals with obesity. J Neuroeng Rehabil. 2014 May 7;11:82.

Fernandez KM, et al. Gait initiation impairments in both Essential Tremor and Parkinson's disease. Gait Posture. 2013 Sep;38(4):956-61.


参考資料

ボディダイナミクス入門 歩き始めと歩行の分析

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ヒトの皮質網様体路と歩行制御

 

 旭川医科大学の高草木教授は、皮質網様体路と脳卒中後の片麻痺歩行との関係ついても興味深い仮説を述べています。

 

 一般的に脳卒中後の運動機能は上肢に比べ、歩行のほうが改善しやすいとされています。高草木氏は、大脳皮質や内包を通る皮質脊髄路が損傷しても皮質網様体路が脳幹の歩行誘発野を介して歩行障害の改善に寄与することによって歩行は改善しやすいと推察しています。

 

 そして片麻痺患者の歩行のメカニズムについて以下のような作業仮説を提唱しています。

 

A:右内包損傷のモデル。右の皮質脊髄路が損傷されるため左片麻痺が生じている。

B:歩行の開始前に、非損傷側の運動前野、補足運動野(6野)からの姿勢制御プログラムの信号が皮質網様体路を通じて先行性姿勢制御を誘発する。

C:6野の歩行開始動作のプログラムが4野の下肢領域から外側皮質脊髄路を介して非麻痺側下肢の踏み出しを誘発する。よって歩行の踏み出しは非麻痺側下肢から始まる。

D:6野から皮質網様体路を通じて脳幹の歩行誘発野への信号が網様体脊髄路を介して脊髄のCPGを駆動して歩行を定常化させる。

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図:高草木薫, 2014より引用

 

 皮質網様体路は、歩行開始に先行して姿勢制御を誘発するとともに、脳幹の歩行誘発野へ投射し、CPGの駆動に関与すると考えられているのです。

 

 歩行の開始時に筋緊張が高まり、ウエルニッケマン肢位をとるのも皮質網様体路からの投射が関与していると高草木氏は推測しています。また、歩き始めに非麻痺側下肢から振り出したほうがCPGを駆動させやすいとのことです。

 

 これらの作業仮説も動物実験、病態モデルの研究にもとづいています。では、ヒトの皮質網様体路も歩行制御に関与しているのでしょうか?



 嶺南大学校のYooらは、被殻出血患者57名を対象に皮質網様体路と皮質脊髄路の損傷をDTTを用いて測定し、損傷状態に応じて4つのグループに分類しました。

グループA:皮質脊髄路、皮質網様体路ともに損傷なし

グループB:皮質脊髄路のみ損傷、皮質網様体路は損傷なし

グループC:皮質脊髄路は損傷なし、皮質網様体路のみ損傷

グループD:皮質脊髄路、皮質網様体路ともに損傷

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Fig.1:Yoo JS, 2014より引用改変

 

 そしてこれらのグループと歩行能力との関連を調べました。その結果は以下のようになりました。

グループA:歩行能力の低下なし

グループB:歩行能力の軽度の低下

グループC:歩行能力の中等度の低下

グループD:歩行能力の著しい低下

 

 皮質脊髄路に比べて皮質網様体路が損傷を受けると歩行能力が低下しやすいことが示されています。この結果から、Yooらは、皮質網様体路は主に歩行の制御に関与していると述べています(Yoo JS, 2014)。また、皮質脊髄路と皮質網様体路ともに損傷されている場合は著しく歩行能力は障害されてることが示されました。皮質脊髄路は主に末梢筋を制御し、下肢では足部の動きに関与します。皮質網様体路は主に近位筋の制御に関与するため、双方ともに損傷されると歩行能力が著明に低下すると推測されています。



 さらにKwonらは、軽度脳挫傷後に遅延した歩行障害についてケースレポートを報告しています。

 

 患者は14歳女性、脳挫傷受傷後、近位筋の弱化と歩行能力の低下を認めました。筋電図を行ってみましたが異常はなく、頭部MRI所見にも異常はありませんでした。受傷後、1ヶ月経過したのちも近位筋の弱化と歩行能力の低下が見られたため、DTTによる画像診断を行いました。

 

 その結果、両側の皮質網様体路の断裂が認められたのです。

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Fig.2:Kwon HG, 2014より引用改変

 

 Kwonらは、この結果から、皮質網様体路は歩行能力の回復に寄与しており、また両側性に断裂されると歩行能力の回復が遅延すると推測しています。

 

 

 「皮質網様体路は近位筋を神経支配し、皮質網様体路の損傷は歩行能力の低下に関与し、歩行障害の改善を遅延させる」というこれらの知見から、皮質網様体路が歩行制御に関与しており、脳卒中などの中枢神経病変における歩行機能の改善に寄与している可能性が示唆されているのです。

 

 高草木氏の作業仮説に示されている皮質網様体路による先行性姿勢制御、CPGへの関与はまだヒトの臨床研究では明らかになっていません。これらは今後の研究を待ちたいと思います。しかし、歩行のリハビリにおいて、近位筋の弱化(muscle weakness)、歩行能力の低下、歩行能力の改善遅延が認められる場合は、病態所見と合わせて高草木氏の提唱する皮質網様体路の関与を考慮しても良いのかもしれませんね。

 

 

脳のしくみとリハビリテーション

シリーズ①:小脳の障害像と損傷部位の関係を理解しよう

シリーズ②:ロンベルグ試験から立位姿勢制御のしくみを理解しよう

シリーズ③:脳卒中後の回復メカニズムの新たな発見をキャッチアップしよう

シリーズ④:ヒトの皮質網様体路と姿勢制御 ①

シリーズ⑤:ヒトの皮質網様体路と姿勢制御 ② 

シリーズ⑥:ヒトの皮質網様体路と歩行制御 

シリーズ⑦:ヒトの大脳皮質と姿勢制御 ①

シリーズ⑧:ヒトの大脳皮質と姿勢制御 ②

 

歩行のしくみとリハビリテーション

歩行のしくみ①:CPGについて考えよう

歩行のしくみ②:歩行適応について考える 

歩行のしくみ③:歩行適応の神経メカニズム

歩行のしくみ④:歩行を早く適応させる2つの方法

歩行のしくみ⑤:歩行を早く適応させる2つの方法・その2

歩行のしくみ⑥:歩行の起源

歩行のしくみ⑦:歩き方をデザインする基準

歩行のしくみ⑧:歩行適応における踵接地の役割 

歩行のしくみ⑨:加齢により歩行の適応能力は変化する?①

歩行のしくみ⑩:加齢により歩行の適応能力は変化する?②

歩行のしくみ⑪:歩行速度で余命を予測しよう

歩行のしくみ⑫:歩行速度で転倒リスクを予測しよう

歩行のしくみ⑬:脳卒中後の歩行速度とQOL

歩行のしくみ⑭:生体力学が教える速く歩くためのポイント 

歩行のしくみ⑮:生体力学が教える速く歩くためのポイント②

歩行のしくみ⑯:脳卒中の発症部位と歩行速度

歩行のしくみ⑰:ヒトの皮質網様体路と歩行制御

 

  

参考資料

高草木 薫, ニューロリハビリテーションにおけるサイエンス. 脊髄脊椎ジャーナル. 2014.

 

Reference

Yoo JS, et al. Characteristics of injury of the corticospinal tract and corticoreticular pathway in hemiparetic patients with putaminal hemorrhage. BMC Neurol. 2014 Jun 6;14:121.

Kwon HG, et al. Delayed gait disturbance due to injury of the corticoreticular pathway in a patient with mild traumatic brain injury. Brain Inj. 2014;28(4):511-4.

 

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脳卒中の発症部位と歩行速度

 

 脳卒中後の歩行速度は、その患者さんの生活の質(QOL)に大きく影響します。歩行速度は外出頻度と密接な関係があり、地域参加できることがQOLの向上に寄与するのです。

脳卒中後の歩行速度とQOL

 

 このような背景から、歩行速度を改善するための研究が多く行われており、特に生体力学研究からは多くの示唆が得られます。

生体力学が教える速く歩くためのポイント①

生体力学が教える速く歩くためのポイント②

 

 そして、近年では、脳卒中の発症部位によって、歩行速度の改善に違いが見られることが明らかになってきました。発症部位から歩行速度の改善が予測できれば、改善予測に合わせた戦略的なリハビリテーションの提供が可能になります。

 

 今回は、脳卒中の発症部位と歩行速度の改善について考察してみましょう。

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 2015年、ケンブリッジ大学のJonesらは「脳卒中の発症部位によってリハビリによる歩行速度の改善を予測できる」という興味深い研究結果を報告しています。

 

 Jonesらは、脳卒中患者50名を対象に、MRIによる発症部位の特定とともに歩行能力を測定しました。そして6週間の歩行リハビリを行い、再度、歩行能力を測定しました。

 

 その結果、被殻やその周囲(島、外包)の病変ではリハビリによる歩行速度の改善成績が良くないことが明らかになったのです。Jonesらは、歩行速度の改善に影響を与える特異的な部位として被殻とその周囲を挙げ、こられの病変ではより積極的な歩行リハビリを行うことが推奨されると述べています。

 

 では、なぜ被殻やその周囲の病変ではリハビリによる歩行速度の改善成績が良くないのでしょうか?今回は、被殻に焦点を絞り、その理由について解剖学的、画像的知見から考えてみましょう。



被殻のしくみと歩行

 

 被殻のある基底核には運動制御を担う大脳皮質-基底核視床の運動ループが存在します。運動ループは大脳皮質の運動野、運動前野から始まり、基底核線条体である被殻淡蒼球、そして視床下核を中継し、視床のVLに到達し、視床から大脳皮質の運動野に戻ります。この運動ループによって運動プログラムが生成されるのです。

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Fig.1:Neuroscience: funcametals for rehabilitationより引用改変

 

 大脳皮質-基底核視床の運動ループによって生成された運動プログラムは3つのルートによって出力されます。

 ひとつ目のルートは、基底核から視床、運動野を介して皮質脊髄路を経由するルートで、このルートは主に巧緻運動に寄与します。

 ふたつ目は、基底核から脚橋被蓋核を介して網様体脊髄路を経由するルート。このルートは姿勢や近位筋の制御に関与します。

 みっつ目は、基底核から中脳の歩行誘発野を介して網様体脊髄路を経由し、CPG(central pattern generator)を制御するルートで、歩行の開始、調整に関与します。

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Fig.2:Neuroscience: funcametals for rehabilitationより引用改変 

 

 このような運動制御に関する基底核のしくみから、被殻の病変では姿勢や歩行の調整に障害が生じることが推測されるのです。特にCPGは快適歩行速度に寄与することが動物実験から示されており、ヒトにおいてもCPGが歩行速度に寄与していると考えられています。この観点からも被殻の病変が歩行速度に影響を与える可能性があるでしょう。



被殻出血と皮質網様体

 

 MRIの検査方法である拡散強調画像(diffusion weighted image:DWI)は急性期の脳卒中の診断で使用されます。急性期病院で働いている方はよくご存知ですよね。この拡散強調画像をもとに、一定の方向に向かって連続する神経線維を画像化したものが拡散テンソル画像(diffusion tensor image:DTI)になります。そして、近年ではこの拡散テンソル画像をもとに派生した拡散テンソルトラクトグラフィー(diffusion tensor tractography:DTT)が注目されています。DTTは神経線維を3次元で表示できることから、脳病変による神経線維への影響や神経線維と症状の関係性を解析できるのです。

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Fig.3:脳腫瘍(赤い矢印)が皮質脊髄路を圧迫しているのがよく分かるDTT画像 

 

 運動制御に関わる大脳皮質からの下降路には、主に皮質脊髄路(corticospinal tract:CST)と皮質網様体路(corticoreticular pathway:CRP)があります。CSTは四肢の末梢の運動制御に関与し(Davidoff RA, 1990)、CRP網様体脊髄路からなる皮質網様体脊髄路は四肢の近位、体幹筋の運動制御に関わることが示されています(Jang SH, 2013)。

 

 被殻出血の多くの症例では、神経学的な症状である筋力の弱化(muscle weakness)が認められることが報告されています(Ghetti G, 2012)。近年では、拡散テンソルトラクトグラフィーの研究によって被殻出血による筋力の弱化の原因としてCSTとCRPの関与が報告されつつあります。

 

 嶺南大学のYooらは、拡散テンソルトラクトグラフィーを用いて、57名の被殻出血患者のCSTとCRPの損傷程度と運動機能、歩行機能の評価を行いました。その結果、CSTの損傷が41名(71.9%)、CRPの損傷が50名(87.8%)に認められ、両方の損書が37名(64.9%)に認められたと報告しています。

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Fig.4:Yoo JS, 2014より引用改変。被殻出血によりCST、CRPが損傷されています様子が良くわかりますね。

 

 この結果から、Yooらは、被殻出血はCSTよりもCRPを損傷する割合が多く、またCST、CRPの両方を損傷しやすい特異的な脳病変であると述べています。被殻出血によりCRPが損傷されやすい理由としては、解剖学的にCRPがCSTよりも被殻に近いことを挙げています。

 

 また、運動機能との関連をみると興味深い結果が得られました。被殻出血によりCSTのみが損傷されると主に手指の機能障害を認め、CRPのみが障害されると歩行の機能障害が認められたのです。さらにCSTとCRPの両方が損傷された場合は、CST、CRP単独よりも重度化しやすい傾向が見られました。

 

 Yooらはこれらの結果から、被殻出血ではCRPの損傷による四肢の近位筋の弱化、歩行能力の低下をより臨床的に重要視し、介入するべきであると結論づけています(Yoo JS, 2014)。

 

 

 人為的にヒトの被殻を損傷させることは倫理的に許されないため、被殻の病変と歩行速度の因果関係を示すことはできません。しかし、神経解剖学により被殻を含む基底核は、大脳皮質、視床と運動ループを形成し、運動プログラミングの生成とともに網様体脊髄路を経由して姿勢や歩行の調整に関与することがわかっています。

 また、拡散テンソルトラクトグラフィー研究により、被殻出血ではCSTよりもCRPがより損傷されやすく、CRPの損傷が近位筋や歩行能力の低下に寄与することが明らかになっています。これらの知見からも被殻病変が歩行速度の改善に影響を与える可能性は高いと考えられているのです。

 

 今回、ご紹介した知見以外にも、被殻は潜在的学習にも関与しており、被殻の病変が潜在的学習にもとづく歩行適応にも影響するという知見もありますが、冗長になってしまうので別の機会にご紹介します。

 

 以上から、被殻出血によって近位筋の弱化や歩行速度の改善が思わしくない場合は、より集中的なリハビリテーション(intensive rehabilitation)を実施し、歩行速度の改善を図る必要があるでしょう。

 

 画像研究の発達によって、今まで以上に脳病変と症状の関係性が明らかになってきています。特に拡散テンソルトラクトグラフィーの研究では、皮質網様体路など今までは仮説であったものが科学的な知見として説明できるようになってきました。より患者さんの病態に合わせたリハビリテーションが提供できるよう、本ブログでも新しい知見を紹介していきますのでご覧いただけると幸いです。

 

 

歩行のしくみとリハビリテーション

歩行のしくみ①:CPGについて考えよう

歩行のしくみ②:歩行適応について考える 

歩行のしくみ③:歩行適応の神経メカニズム

歩行のしくみ④:歩行を早く適応させる2つの方法

歩行のしくみ⑤:歩行を早く適応させる2つの方法・その2

歩行のしくみ⑥:歩行の起源

歩行のしくみ⑦:歩き方をデザインする基準

歩行のしくみ⑧:歩行適応における踵接地の役割 

歩行のしくみ⑨:加齢により歩行の適応能力は変化する?①

歩行のしくみ⑩:加齢により歩行の適応能力は変化する?②

歩行のしくみ⑪:歩行速度で余命を予測しよう

歩行のしくみ⑫:歩行速度で転倒リスクを予測しよう

歩行のしくみ⑬:脳卒中後の歩行速度とQOL

歩行のしくみ⑭:生体力学が教える速く歩くためのポイント 

歩行のしくみ⑮:生体力学が教える速く歩くためのポイント②

歩行のしくみ⑯:脳卒中の発症部位と歩行速度

歩行のしくみ⑰:ヒトの皮質網様体路と歩行制御

 

脳のしくみとリハビリテーション

シリーズ①:小脳の障害像と損傷部位の関係を理解しよう

シリーズ②:ロンベルグ試験から立位姿勢制御のしくみを理解しよう

シリーズ③:脳卒中後の回復メカニズムの新たな発見をキャッチアップしよう

シリーズ④:脳卒中の発症部位と歩行速度

シリーズ⑤:ヒトの皮質網様体路と姿勢制御 ①

シリーズ⑥:ヒトの皮質網様体路と姿勢制御 ② 

シリーズ⑦:ヒトの皮質網様体路と歩行制御 

シリーズ⑧:ヒトの大脳皮質と姿勢制御 ①

シリーズ⑨:ヒトの大脳皮質と姿勢制御 ②

 

 

 

参考図書

Neuroscience: Fundamentals for Rehabilitation, 4e

 

Reference

Jones PS, et al. Does stroke location predict walk speed response to gait rehabilitation? Hum Brain Mapp. 2016 Feb;37(2):689-703.

Davidoff RA. The pyramidal tract. Neurology. 1990 Feb;40(2):332-9.

Jang SH, et al. Functional role of the corticoreticular pathway in chronic stroke patients. Stroke. 2013 Apr;44(4):1099-104.

Ghetti G. Putaminal hemorrhages. Front Neurol Neurosci. 2012;30:141-4.

Yoo JS, et al. Characteristics of injury of the corticospinal tract and corticoreticular pathway in hemiparetic patients with putaminal hemorrhage. BMC Neurol. 2014 Jun 6;14:121.

  

「説明がわからない」「これが知りたい」などのご意見はTwitterまでご気軽にご連絡ください。 

生体力学が教える速く歩くためのポイント②

 

 スタンフォード大学のNeptuneとLiuらによる生体力学研究によって、速く歩くためには推進力を高めることが必要であり、推進力の増加には足関節底屈筋の筋活動が大きく関与していることが示されました。

 速く歩くためのポイントは、地面を蹴る力を高めることなのです。

生体力学が教える速く歩くためのポイント

 

 そして、もうひとつ速く歩くための大事なポイントがあります。今回はふたつ目のポイントについてご紹介しましょう。

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 Perryらの研究結果により、脳卒中患者のQOLには歩行速度が大きく反映されることが示されました。

脳卒中後の歩行速度とQOL

 

 このような背景のもと、現在では、脳卒中後の歩行速度を改善させることがリハビリテーションの主要な目的になっており、NeptuneとLiuらの研究成果をもとに、脳卒中患者の歩行の生体力学研究が発展してきました。

 

 Neptuneの教え子であるBowdenらは、脳卒中患者の歩行速度は麻痺側下肢の推進力が影響していることを明らかにしました。脳卒中後の歩行速度の向上には麻痺側下肢の推進力を高める必要性が示されました(Bowden MG, 2006)。

 

 Neptuneのもうひとりの教え子であるTurnsらは、麻痺側下肢の推進力には腓腹筋とヒラメ筋の筋活動が大きく寄与しており、ターミナルスタンスでの腓腹筋、プレスイングでのヒラメ筋の筋活動の増加が推進力と正の相関関係にあることを示しました(Turns LJ, 2007)。

 

 脳卒中患者の歩行の推進力も健常者と同様に足関節底屈筋の筋活動が重要であることがNeptuneの系譜を受け継いだ弟子たちによって明らかになったのです。

 しかしながら、同時期に歩行速度が速くても、麻痺側の足関節底屈筋の筋活動が小さいケースが報告されました。

 

 脳卒中後では多くの場合で歩幅の非対称性が認められます。そして、歩幅の非対称性が改善し、歩行速度が向上すると麻痺側の足関節底屈モーメントが低下する傾向が示されたのです。この結果から、歩行速度や麻痺側の推進力の向上には、足関節底屈筋の筋活動だけではなく、麻痺側下肢の歩幅が寄与することが示唆されました(Balasubramanian CK, 2007)。

 

 これらの報告を機に、脳卒中後の歩行の推進力には足関節の底屈筋が主要因であるという研究結果が見直されることになったのです。



脳卒中後の歩行研究から見出された速く歩くためのもうひとつのポイント

 

 2010年、テキサス大学のPetersonらは、脳卒中患者の歩行の推進力には足関節底屈筋だけでなく、立脚後期の下肢の位置が関与していることを初めて明らかにしました。

 

 Petersonらは、脳卒中患者と健常者を対象として、歩行時の関節運動と床反力を測定しました。その結果、足関節の底屈筋に加えて、立脚後期の下肢の位置が麻痺側、非麻痺側、健常者の歩行の推進力と正の相関関係にあることを示しました。さらに、推進力に対する足関節底屈筋の寄与は、立脚後期の下肢の位置に依存することを示唆しました(Peterson CL, 2010)。

 

 同様に、デラウェア大学のTyrellらも脳卒中後の歩行速度の向上には、第五中足骨頭と大転子へのベクトルと垂直軸のなす角度であるTLA(trailing limb angle:後ろ足の角度)の増加が歩行速度の向上と関連していると報告しています(Tyrell CM, 2011)。

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Fig.1:Tyrell CM, 2011より引用改変

 

 これらの報告によって、脳卒中患者の麻痺側の推進力には足関節の底屈筋のみでなくTLAという立脚後期の下肢の角度が寄与することが明らかになったのです。



◆ 生体力学によるさらなる発展

 

 デラウェア大学のHsiaoらは、Peterson、Tyrellらの研究結果を生体力学の数学的モデルを用いてさらに洗練させていきます。

 

 2015年、Hsiaoらは、健常者を対象として、得られた歩行解析、床反力のデータから歩行の推進力への足関節底屈筋、TLAそれぞれの寄与率を検討しました。

 

 その結果、快適歩行速度では、足関節底屈筋、TLAともに同程度の寄与率を示しました。

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Fig.2:Hsiao H, 2015より引用改変

 

 興味深いのは、歩行速度を増加させていくと、推進力への寄与率は足関節底屈筋に対してTLAが2倍の値を示したのです。推進力の増加にはTLAの寄与が大きいことが示唆されました。

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Fig.3:Hsiao H, 2015より引用改変

 

 これらの結果から、Hisiaoらは数学的モデルを用い、推進力の方程式を示しました。

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Fig.4:Hsiao H, 2015より引用

 

 この方程式からは多くの示唆が得られます。例えば、TLAが7度、足関節底屈筋が80Nmだと仮定すると68Nの推進力が得られます。推進力を100Nにしたい場合は、足関節底屈筋のみであれば、筋活動を80Nmから116Nmへ36%も増加させなければなりません。ところが、TLAを7度から10度に増やすと、足関節底屈筋は筋活動を2Nm(2.5%)増やすだけで100Nの推進力を得ることができるのです。

 

 つまり、歩行速度を向上さたい場合、TLAを増加させることが効率的なアプローチになるのです。

 

 Hsiaoらは、TLAの推進力への寄与は、TLAの増大に伴うプレスイング時の膝関節の伸展の関与が大きいと言います。TLAの増加によって、プレスイング時に膝関節の伸展が生じ、足関節の底屈筋により得られる推進力ベクトルが効率的に身体の質量中心(COM)へ伝達されるということです。

 

 以上から、脳卒中患者のみならず、健常者においても速く歩くためには足関節底屈筋の筋活動とともにTLAの増加が重要であることが示されているのです。

 

 

理学療法士は妻に言いました。

「速く歩くためには地面を蹴る力が必要です」

「そしてそれ以上に大事なポイントがあります」

そう言うと、ペンで図を書き始めました。

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「ポイントは後ろ足の股関節と膝関節がしっかり伸びることなのです」

「では、そのトレーニング方法をお教えしましょう…」

 

 

歩行のしくみとリハビリテーション

歩行のしくみ①:CPGについて考えよう

歩行のしくみ②:歩行適応について考える 

歩行のしくみ③:歩行適応の神経メカニズム

歩行のしくみ④:歩行を早く適応させる2つの方法

歩行のしくみ⑤:歩行を早く適応させる2つの方法・その2

歩行のしくみ⑥:歩行の起源

歩行のしくみ⑦:歩き方をデザインする基準

歩行のしくみ⑧:歩行適応における踵接地の役割 

歩行のしくみ⑨:加齢により歩行の適応能力は変化する?①

歩行のしくみ⑩:加齢により歩行の適応能力は変化する?②

歩行のしくみ⑪:歩行速度で余命を予測しよう

歩行のしくみ⑫:歩行速度で転倒リスクを予測しよう

歩行のしくみ⑬:脳卒中後の歩行速度とQOL

歩行のしくみ⑭:生体力学が教える速く歩くためのポイント 

歩行のしくみ⑮:生体力学が教える速く歩くためのポイント②

歩行のしくみ⑯:脳卒中の発症部位と歩行速度

歩行のしくみ⑰:ヒトの皮質網様体路と歩行制御

 

 

Reference

Bowden MG, et al. Anterior-posterior ground reaction forces as a measure of paretic leg contribution in hemiparetic walking. Stroke. 2006 Mar;37(3):872-6.

Turns LJ, et al. Relationships between muscle activity and anteroposterior ground reaction forces in hemiparetic walking. Arch Phys Med Rehabil. 2007 Sep;88(9):1127-35.

Balasubramanian CK, et al. Relationship between step length asymmetry and walking performance in subjects with chronic hemiparesis. Arch Phys Med Rehabil. 2007 Jan;88(1):43-9.

Peterson CL, et al. Leg extension is an important predictor of paretic leg propulsion in hemiparetic walking. Gait Posture. 2010 Oct;32(4):451-6.

Tyrell CM, et al. Influence of systematic increases in treadmill walking speed on gait kinematics after stroke. Phys Ther. 2011 Mar;91(3):392-403.

Hsiao H, et al. The relative contribution of ankle moment and trailing limb angle to propulsive force during gait. Hum Mov Sci. 2015 Feb;39:212-21.

 

生体力学が教える速く歩くためのポイント

 

最近、歩くのが遅くなった夫を見た妻は、余命や転倒リスクを心配して、夫を病院へ連れて行きました。

歩行速度で余命を予測しよう

歩行速度で転倒リスクを予測しよう

 

理学療法士に速く歩けるようになるためにはどうしたら良いか?と尋ねると、理学療法士はこう答えました。

「速く歩くためのポイントは2つあります」

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 1980年、サンディエゴにある小児保健センターのSutherlandらは、脛骨神経をブロックすると歩行速度が遅くなり、歩行の推進には足関節の底屈筋が関与していることを初めて報告しました(Sutherland DH, 1980)。

 

 その後、床反力計が開発され、歩行中の足関節モーメントが計測できるようになると1997年にKeppelらによって、足関節底屈モーメントが歩行の推進に寄与していることが明らかになりました(Kepple TM, 1997)。

 

 Keppelらの報告を皮切りに、2000年に入ると床反力計と筋電図を合わせた生体力学研究が大きな盛り上がりを迎えます。そこには2人のスタンフォード大学の研究者の功績があったのです。

 

 2001年、スタンフォード大学のNeptuneらは、立脚後期に生じる推進力には腓腹筋とヒラメ筋の筋活動が寄与するとともに、その役割はそれぞれ異なっていることを明らかにしました。腓腹筋は立脚終期であるターミナルスタンスで垂直方向へ重心を持ち上げるように作用し、ヒラメ筋はつま先離地期であるプレスイングで前方の推進力に作用することを示したのです(Neptune RR, 2001)。

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Fig.1:Neptune RR, 2001より引用改変

 

 また、Neptuneらは、2004年、立脚後期だけでなく、全歩行周期における床反力と筋活動の関係を明らかにしました。立脚後期の腓腹筋、ヒラメ筋の活動を再確認し、立脚前期では股関節伸展筋、膝関節伸展筋の筋活動が重心を押し上げるように働くことを報告しました(Neptune RR, 2004)。

 

 この報告を裏付けるように、2006年、スタンフォード大学のLiuらは、全歩行周期における床反力と筋活動の関係性をさらに明確にしました。下記の図は、全ての下肢筋と個々の筋の床反力と筋活動の大きさと方向を示しています。

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Fig.2:Liu MQ, 2006より引用改変

 

 Neptuneらの報告と異なる点は、立脚終期の重心の上方化に腓腹筋のみでなくヒラメ筋の関与も示したことです。ターミナルスタンスでの重心の低下を腓腹筋とヒラメ筋の筋活動によって防ぎ、プレスイングでヒラメ筋が前方へ身体を押し出すというメカニズムを明らかにし、歩行の推進にヒラメ筋が大きく寄与していることを示唆しました(Liu MQ, 2006)。

 

 ここまでは一定の歩行速度の研究でした。では、歩行速度が異なる場合は床反力と筋活動はどのように変化するのでしょうか?

 

 2008年、Neptuneらは速い歩行速度における床反力と筋活動の関係を明らかにしました。歩行速度の増加とともに、立脚前期では股関節、膝関節の伸展筋、足関節の底屈筋の筋活動が高まり、立脚後期では腓腹筋、ヒラメ筋の筋活動が高まりました。さらに、腸腰筋がプレスイングで活動性を高め、遊脚時の下肢の推進に寄与することがわかりました(Neptune RR, 2008)。

 

 同じ年にLiuらも同様の研究を報告しています。Liuらは歩行速度をとても遅い、遅い、普通、速いに分けて、それぞれの床反力と筋活動の変化を測定しました。

 

 その結果、歩行速度が増加すると床反力の推進力が増し、中殿筋を除く全ての下肢筋の筋活動が高まりました。

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Fig.3:Liu MQ, 2008より引用改変

 

 さらに、速く歩くための推進力の増加には、特にヒラメ筋の筋活動の増加が関与していることが明らかになったのです。

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Fig.4:Liu MQ, 2008より引用改変

 

 これらの結果から、Liuらは、歩行の推進力を上げるためには、腓腹筋とヒラメ筋による足関節底屈モーメントを増加させることが重要であると結論付けました(Liu MQ, 2008)。

 

 2001年から始まったNeptuneとLiuらの研究により、速い歩行速度には、腓腹筋とヒラメ筋による足関節底屈モーメントが大きく寄与することが示唆されているのです。



 理学療法士は妻に言いました。

「まずは、足の筋力トレーニングが必要です。特に地面を蹴る力をつけましょう」



 そして、2010年以降、生体力学のさらなる発展により、速く歩くためのもうひとつのポイントが明らかになるのです。

 

 

歩行のしくみとリハビリテーション

歩行のしくみ①:CPGについて考えよう

歩行のしくみ②:歩行適応について考える 

歩行のしくみ③:歩行適応の神経メカニズム

歩行のしくみ④:歩行を早く適応させる2つの方法

歩行のしくみ⑤:歩行を早く適応させる2つの方法・その2

歩行のしくみ⑥:歩行の起源

歩行のしくみ⑦:歩き方をデザインする基準

歩行のしくみ⑧:歩行適応における踵接地の役割 

歩行のしくみ⑨:加齢により歩行の適応能力は変化する?①

歩行のしくみ⑩:加齢により歩行の適応能力は変化する?②

歩行のしくみ⑪:歩行速度で余命を予測しよう

歩行のしくみ⑫:歩行速度で転倒リスクを予測しよう

歩行のしくみ⑬:脳卒中後の歩行速度とQOL

歩行のしくみ⑭:生体力学が教える速く歩くためのポイント 

歩行のしくみ⑮:生体力学が教える速く歩くためのポイント②

歩行のしくみ⑯:脳卒中の発症部位と歩行速度

歩行のしくみ⑰:ヒトの皮質網様体路と歩行制御

 

 

Reference

Sutherland DH, et al. The role of the ankle plantar flexors in normal walking. J Bone Joint Surg Am. 1980 Apr;62(3):354-63.

Kepple TM, Siegel KL, Stanhope SJ. Relative contributions of the lower extremity joint moments to forward progression and support during gait. Gait Posture 1997;6:1-8.

Neptune RR, et al. Contributions of the individual ankle plantar flexors to support, forward progression and swing initiation during walking. J Biomech. 2001 Nov;34(11):1387-98.

Neptune RR, et al. Muscle force redistributes segmental power for body progression during walking. Gait Posture. 2004 Apr;19(2):194-205.

Liu MQ, et al. Muscles that support the body also modulate forward progression during walking. J Biomech. 2006;39(14):2623-30.

Neptune RR, et al. The effect of walking speed on muscle function and mechanical energetics. Gait Posture. 2008 Jul;28(1):135-43.  

Liu MQ, et al. Muscle contributions to support and progression over a range of walking speeds. J Biomech. 2008 Nov 14;41(15):3243-52.

 

脳卒中後の歩行速度とQOL

 

 私たちの幸せは、他者との関わり合いの中からもたらされます。

社会心理学が教える幸せの方程式

 

 ここでいう他者とは、友人や恋人、家族などの存在でしょう。友人との買い物、恋人とのデート、家族との旅行。どれもが楽しいひとときですよね。しかし、病気により歩くことが困難になると、そこには「外出する」という大きな壁が立ちはだかるのです。

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 脳卒中後の問題のひとつに「生活範囲の狭小化」というものがあります。脳卒中によって歩くことが困難になると、その重症度によって外出することが難しくなり、生活する範囲が狭くなってしまうのです。そのため、家で過ごす時間が多くなり、筋力や体力の低下によって、さらに外出が困難になるという悪循環が生じてしまいます(Perry J, 1995)。

 

 では、脳卒中後の外出を妨げ、生活範囲の狭小化を招く原因は何なのでしょうか?

 

 1995年、歩行のパイオニアであり、Gait analysis(ペリー歩行分析)の著者であるPerryらは、脳卒中後の自宅内や地域の歩行能力を予測する指標について検討しました。指標は筋力、固有感覚、そして歩行速度でした。その結果、最も脳卒中後の歩行能力を反映したのは歩行速度だったのです(Perry J, 1995)。

 

 さらに、Perryらは、歩行速度を6つに分類して、屋内の日常生活動作や外出との関連を明らかにしました。

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Fig.1:Perry J, 1995より引用改変。10m歩行速度を筆者にて追記しています。

 

 脳卒中後の歩行速度が0.4m/s以下では外出の障壁になる家の出入りや段差の昇降が困難になります。また、0.8m/s以下では外出は可能になりますが、近所のお店やショッピングモールでの移動は困難です。そして、0.8m/s以上では不自由なく外出ができるとしています。つまり、脳卒中後の歩行速度によって、生活範囲が決まってくるのです。

 

 Perryらの研究成果によって、脳卒中後の外出できる歩行能力の指標に歩行速度が重要であることが認知され、歩行障害に対する多くの介入研究の指標として選択されるようになりました。 

 

 しかし、これに疑義を投げかけたのがオタゴ大学のLord らの研究グループです。

 

 彼女らは、外出というのは段差や坂道といった複雑な環境下であり、人と話したり、車や人通りに注意をするという認知的な要素も必要になるため、シンプルな歩行速度の計測のみでは外出の予測は困難であると述べています。

 

 また、歩行速度の改善と外出状況やQOLの変化との関係が不明確であるとして、歩行速度といった単一な指標ではなく、外出の状況を個々に調査する自己報告(self-report)が臨床的に意味がある指標である結論付けたのです(Lord SE, 2005)。

 

 この疑義に対する答えは間もなく示されました。

 

 2007年、インディアナ大学のSchmidらは、Perryらの歩行の6分類を3分類に簡略化し、歩行速度の改善と外出状況、QOLの変化との関係を明らかにしたのです。

 

 Schmidらは、対象となる脳卒中患者を10m歩行速度によって屋内歩行レベル(0.4m/s未満)、外出がやや困難なレベル(0.4-0.8m/s)、外出可能なレベル(0.8m/s以上)に分類しました。その後、3ヶ月間、歩行練習を行い、歩行速度の改善度と外出状況、QOLとの関係を調査しました。

 

 その結果、屋内歩行グループ、外出がやや困難なグループの歩行速度の改善は、外出の範囲を広げ、QOLを高めることが示されたのです。特に、屋内歩行レベルであったグループの歩行速度の改善は、外出の頻度を増加させ、QOLを高めることがわかりました(Schmid A, 2007)。

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Fig.2:Schmid A, 2007より引用改変

 

 屋内歩行レベルの歩行速度が改善するとQOLが高まりやすいという結果は、外出頻度とQOLの関係を示しており、外出することが地域への参加につながり、QOLを向上に寄与するとSchmidらは推測しています。

 

 これらの経緯により、脳卒中患者の歩行速度は、患者さんの外出状況やQOLを反映し、歩行速度の改善が外出頻度の増加、QOLの向上に寄与することが明らかになりました。この報告をもとに、歩行速度は臨床的に意味のあるものとして認識され、現在でも脳卒中後の歩行能力の主要な指標(Primary outcome)になっているのです。

 

 

 Perry氏が示したように、脳卒中後の生活範囲の狭小化は人と関わる機会を奪います。脳卒中後の歩行速度を改善させることが外出範囲を広げ、友人や家族との関わりを強め、結果的にQOLを高めるのでしょう。

 

 自分の足で家から外にでて、友人や家族に会いにいく。これが幸せの第一歩なのかもしれません。セラピストは患者さんの歩行能力を高め、環境を整備し、この第一歩を支援することが業になるのです。

 

 

脳卒中リハビリテーション

脳卒中リハビリ①:バランス感覚には、足底感覚へのアプローチ! 

脳卒中リハビリ②:自転車トレーニングでは、速度一定でお願いします。

脳卒中リハビリ③:脳卒中早期からFES自転車運動で体幹機能を高めよう!

脳卒中リハビリ④:FES自転車運動は姿勢制御に効果的

脳卒中リハビリ⑤:自転車トレーニングは、ただ漕いでるだけじゃダメ。

脳卒中リハビリ⑥:自転車で突っ張る筋肉をほぐせるかも。

脳卒中リハビリ⑦:歩行スピードを高めたいなら、足関節背屈筋力を高めよう。

脳卒中リハビリ⑧:歩行距離をのばすには、やっぱり足関節背屈筋力?

脳卒中リハビリ⑨:上手に歩くためには、エンジンとブレーキ、どっちが大事?

脳卒中リハビリ⑩:歩行立脚期の機能改善には、この装具で。

脳卒中リハビリ⑪:遊脚期の足関節背屈を増強させる新しいトレーニング

脳卒中リハビリ⑫:視覚的フィードバックで知らないうちに歩行が変わる?

脳卒中リハビリ⑬:フィードバック療法で麻痺側の足を使えるようにしよう。

脳卒中リハビリ⑭:非麻痺側下肢も見逃すな。

脳卒中リハビリ⑮:ただ自転車を漕ぐだけではダメな根拠

脳卒中リハビリ⑯:片麻痺にもインソールは有効。

脳卒中リハビリ⑰:中殿筋への機能的電気刺激療法は、歩行の対称性を改善させます

脳卒中リハビリ⑱:効果的な立ち上がり練習の方法

脳卒中リハビリ⑲:立ち上がり動作と荷重感覚

脳卒中リハビリ⑳:筋力トレーニングだけでは効果なし

脳卒中リハビリ㉑:脳卒中後の回復メカニズムの新たな発見をキャッチアップしよう

脳卒中リハビリ㉒:脳卒中後の歩行速度とQOL

 

歩行のしくみとリハビリテーション

歩行のしくみ①:CPGについて考えよう

歩行のしくみ②:歩行適応について考える 

歩行のしくみ③:歩行適応の神経メカニズム

歩行のしくみ④:歩行を早く適応させる2つの方法

歩行のしくみ⑤:歩行を早く適応させる2つの方法・その2

歩行のしくみ⑥:歩行の起源

歩行のしくみ⑦:歩き方をデザインする基準

歩行のしくみ⑧:歩行適応における踵接地の役割 

歩行のしくみ⑨:加齢により歩行の適応能力は変化する?①

歩行のしくみ⑩:加齢により歩行の適応能力は変化する?②

歩行のしくみ⑪:歩行速度で余命を予測しよう

歩行のしくみ⑫:歩行速度で転倒リスクを予測しよう

歩行のしくみ⑬:脳卒中後の歩行速度とQOL

歩行のしくみ⑭:生体力学が教える速く歩くためのポイント 

歩行のしくみ⑮:生体力学が教える速く歩くためのポイント②

歩行のしくみ⑯:脳卒中の発症部位と歩行速度

歩行のしくみ⑰:ヒトの皮質網様体路と歩行制御

 

 

Reference

Perry J, et al. Classification of walking handicap in the stroke population. Stroke. 1995 Jun;26(6):982-9.

Lord SE, et al. Measurement of community ambulation after stroke: current status and future developments. Stroke. 2005 Jul;36(7):1457-61.

Schmid A, et al. Improvements in speed-based gait classifications are meaningful. Stroke. 2007 Jul;38(7):2096-100.

 

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歩行速度で転倒リスクを予測しよう

 

信号が点滅するまでに横断歩道を渡り終えない夫を見て妻は思いました。

「夫の余命もあと10年程度か…」

歩行速度で余命を予測しよう

 

また、こうも思いました。

「家の中を片付けないとね」

「あと、行ったことのない場所に出かけるときは転倒に注意してもらおう」

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 歩行速度で転倒を予測できるのでしょうか?

 

 このテーマに関する研究報告は数多くあります。しかし、いまだに議論の答えがでていません。歩行速度が遅くなると転倒しやすいという報告(Dargent-Molina P, 1996)もあれば、歩行速度と転倒は関係ないという報告(Kelsey JL, 2005)もあるのです。

 

 歩行速度と転倒リスクの関係は、歩行速度が遅くなると転倒リスクが高まるという線形関係にあると言われています。しかし、歩行速度が遅くても転倒しないケースもあり、逆に速くても転倒するケースがあるという知見から、歩行速度の低下と転倒リスクの増加という線形関係には疑問がもたれ、議論が続いているのです。

 

 今回は、この議論のひとつの答えになる報告を紹介しながら、歩行速度と転倒との関係性について考察してみましょう。



 2011年、米国老年研究所のQuachらは、歩行速度と転倒リスクの関係は線形ではなく、非線形であるという報告をしています(Quach L, 2011)。

 

 彼女らは、地域在住の高齢者763名を対象に、18ヶ月間、歩行速度と転倒について調査しました。歩行速度は4mの快適歩行速度で計測され、対象者を歩行速度が遅い(<0.6m/s)、やや遅い(0.6<1.0m/s)、普通(1.0<1.3m/s)、速い(≧1.3m/s)の4つのグループに分類しました。

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*Fig.1:Quach L, 2011より引用改変

 

 18ヶ月間のフォローアップを行った結果、意外なことがわかりました。歩行速度の遅いグループと速いグループでは普通のグループに比べて転倒リスクが高かったのです。

 この結果から、Quachらは歩行速度と転倒リスクは線形ではなく、非線形(U字型)の関係にあると結論づけました。つまり、歩行速度が遅い場合だけではなく、速い場合でも転倒リスクは高まるということを明らかにしたのです。

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*Fig.2:歩行速度と転倒リスクの関係(筆者作成)

 

 それでは、なぜ歩行速度が遅くても速くても転倒リスクが高まるのでしょうか?

 

 Quachらは、転倒の生じている場所に注目しました。転倒場所を屋内と屋外にわけて歩行速度のグループ別に解析を行ってみると、歩行速度の遅いグループは屋内での転倒が多く、速いグループは屋外での転倒が多かったのです。

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*Fig.3:Quach L, 2011より引用改変

 

 その理由として、歩行速度が遅いものは身体機能が低下しており、屋内での生活が長くなるため屋内での転倒が多くなり、歩行速度が速いものは外出する機会が多く、慣れていない環境下で自分の身体機能を過信した結果、転倒するのだろうと推測しています。

 

 さらに、1年間での歩行速度の低下と転倒リスクの関係を見ると、どの歩行速度のグループにおいても1年間に0.15m/s以上の歩行速度の低下が認められた場合、転倒リスクが高まることがわかりました。

 

 Quachらの報告をまとめてみましょう。

・歩行速度と転倒リスクの関係は線形ではなく非線形(U字型)である。

・歩行速度の遅いものは屋内で、歩行速度が速いものは屋外での転倒リスクが高まる。

・歩行速度が遅くても速くても1年間で歩行速度が0.15m/s低下すると転倒リスクが高まる。

 

 歩行速度で転倒を予測できるのだろうか?という議論に対して、歩行速度と転倒リスクは線形でなく非線形の関係であり、線形関係で議論していても答えがでないということをQuachらは教えてくれています。そして歩行速度が遅い、速いではなく、経時的な変化(この場合は1年間の歩行速度の変化)が転倒リスクの因子になる可能性も示しているのです。

 

 最近になって、歩行速度が遅くなった夫を見て、妻が家の中の環境を整備しようと思ったのも屋内での転倒リスクが高まることを知っていたからでしょう。また、出かけるときは自分の思う身体機能に過信せず、特に慣れてない、初めて出かけるような場所では転倒に注意させようと思ったのです。

 

 きっと、妻はQuachらの報告にも目を通していたのでしょう。

 

 

転倒の科学

転倒の科学①:健康寿命から考える転倒予防

転倒の科学②:転倒予防のリスクマネージメント① 転倒のリスク因子を知ろう! 

転倒の科学③:効率的に転倒リスクをスクリーニングしよう!AGS編 

転倒の科学④:効率的に転倒リスクをスクリーニングしよう!CDC編

転倒の科学⑤:有効なバランス能力の評価とは?

転倒の科学⑥:バランス能力の評価を再考しよう

転倒の科学⑦:歩行速度で転倒リスクを予測しよう

転倒の科学⑧:変形性膝関節症の術後の痛みが転倒のリスク因子になる

転倒の科学⑨:睡眠薬のメカニズムと転倒リスクについて知っておこう

 

歩行のしくみとリハビリテーション

歩行のしくみ①:CPGについて考えよう

歩行のしくみ②:歩行適応について考える 

歩行のしくみ③:歩行適応の神経メカニズム

歩行のしくみ④:歩行を早く適応させる2つの方法

歩行のしくみ⑤:歩行を早く適応させる2つの方法・その2

歩行のしくみ⑥:歩行の起源

歩行のしくみ⑦:歩き方をデザインする基準

歩行のしくみ⑧:歩行適応における踵接地の役割 

歩行のしくみ⑨:加齢により歩行の適応能力は変化する?①

歩行のしくみ⑩:加齢により歩行の適応能力は変化する?②

歩行のしくみ⑪:歩行速度で余命を予測しよう

歩行のしくみ⑫:歩行速度で転倒リスクを予測しよう

歩行のしくみ⑬:脳卒中後の歩行速度とQOL

歩行のしくみ⑭:生体力学が教える速く歩くためのポイント 

歩行のしくみ⑮:生体力学が教える速く歩くためのポイント②

歩行のしくみ⑯:脳卒中の発症部位と歩行速度

歩行のしくみ⑰:ヒトの皮質網様体路と歩行制御

 

Reference

Dargent-Molina P, et al. Fall-related factors and risk of hip fracture: the EPIDOS prospective study. Lancet. 1996 Jul 20;348(9021):145-9.

Kelsey JL, et al. Reducing the risk for distal forearm fracture: preserve bone mass, slow down, and don't fall! Osteoporos Int. 2005 Jun;16(6):681-90. 

Quach L, et al. The nonlinear relationship between gait speed and falls: the Maintenance of Balance, Independent Living, Intellect, and Zest in the Elderly of Boston Study. J Am Geriatr Soc. 2011 Jun;59(6):1069-73.

歩行速度で余命を予測しよう

 

高齢の夫婦が横断歩道で信号が変わるのをまっています。

信号が青に変わり、夫婦は横断歩道を渡り始めました。

ところが、夫は最近、歩くのが遅くなり、信号が点滅し始めてようやく渡り終えたのです。

このとき、妻は思いました。

「ああ、夫の余命もあと10年程度か…」

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 歩行速度は、ひとりひとり違います。これは、歩行速度が身体のさまざまな要素(エネルギー代謝、心肺機能、神経機能、筋骨格機能、認知機能など)を反映するためです(Abellan van Kan G, 2009)。

 

 例えば、体調が悪くなると歩行速度は遅くなり、幸福を感じると速くなります(Hall WJ, 2006)。このように、歩行速度は身体や心の状態までを示すアウトカム(指標)になるのです。そして歩行速度は無意識に調整されるのでウソがつけません。

 『歩き方をデザインする基準

 

 これは逆にいうと、歩行速度で身体や心の状態を予測することが可能であるということです。

 

 今回は、歩行速度で「余命」を予測してみましょう。



 2011年、JAMAに掲載された報告は衝撃的なものでした。その題名は"Gait speed and survival in older adults.(高齢者の歩行速度と生存)"です。

 米国老年医学専門医であるStudenskiらのグループによって、地域在住の65歳以上の高齢者33,485名を対象とした大規模な歩行速度と余命の研究が報告されました(Studenski S, 2011)。追跡期間は最大21年間に及び、その間に17,528人の死亡を数えました。

 

 これらのデータを用い、統計解析を行うことによって、年齢、性別、歩行速度の3つの因子で予測する余命は、年齢、性別、慢性病、収縮期血圧BMIなど多くの因子を用いて予測する余命とほぼ一致することが示されたのです。つまり、歩行速度で余命を予測できることが明らかになりました。

 

 では、主な結果を見てみましょう。これらのグラフは、男女の年齢別における生存年数(余命)を快適歩行速度で示したものです。

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*Fig.1:Studenski S, 2011より引用改変:歩行速度(m/s)による男性の余命グラフ

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*Fig.2:Studenski S, 2011より引用改変:歩行速度(m/s)による女性の余命グラフ

 

 このグラフから余命を読み取ってみましょう。

 冒頭で示した高齢の夫婦の話に戻りますが、横断歩道の信号は青から点滅するまでの時間を一般的に歩行速度1.0m/sに設定しているそうです。横断歩道の距離が10mであれば、青信号が点滅するまでの時間を10秒に設定しているということです(実際はもう少し長いようです)。

 

 夫は横断歩道を渡り終えるまでに信号が点滅してしまったので、歩行速度は1.0m/sより遅いことが推測できます。夫が70歳であるならば、グラフから余命は10年程度ということになるのです。

 きっと、妻はこのJAMAの論文を読んでいたのでしょう。

 

 では、このグラフを臨床的に使いやすくするために10m歩行速度(秒)に換算してみました。

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*Fig.3:Studenski S, 2011より引用改変:10m歩行速度による男性の余命グラフ

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*Fig.4:Studenski S, 2011より引用改変:10m歩行速度による女性の余命グラフ

 

 10m歩行速度であれば臨床的にイメージしやすいですよね。

 

 本研究の結果から、Studenskiらは、年齢と性別での予測余命中央値は約0.8m/sであるため、1.0m/s以上であれば平均余命を上回り、1.2m/sを超えれば並外れた余命になると推測しています。10m歩行では、10秒以下であれば平均余命を上回り、8秒以下であれば並外れた余命になるということです。

 

 この報告によって、歩行速度で余命が予測できることがわかりました。しかし、大事なのは予測することではなく、歩行速度を維持できれば長生きできるという事実です。

 今ではスマホのアプリで歩行速度を計ることができます。また、歩行速度1.0m/sは時速3.6kmなので、1kmを15分で歩ければ平均余命を上回る歩行速度となります。ときどきは自分の歩行速度を計り、健康をマネージメントするきっかけにすると良いでしょう。

 

 

歩行のしくみとリハビリテーション

歩行のしくみ①:CPGについて考えよう

歩行のしくみ②:歩行適応について考える 

歩行のしくみ③:歩行適応の神経メカニズム

歩行のしくみ④:歩行を早く適応させる2つの方法

歩行のしくみ⑤:歩行を早く適応させる2つの方法・その2

歩行のしくみ⑥:歩行の起源

歩行のしくみ⑦:歩き方をデザインする基準

歩行のしくみ⑧:歩行適応における踵接地の役割 

歩行のしくみ⑨:加齢により歩行の適応能力は変化する?①

歩行のしくみ⑩:加齢により歩行の適応能力は変化する?②

歩行のしくみ⑪:歩行速度で余命を予測しよう

歩行のしくみ⑫:歩行速度で転倒リスクを予測しよう

歩行のしくみ⑬:脳卒中後の歩行速度とQOL

歩行のしくみ⑭:生体力学が教える速く歩くためのポイント 

歩行のしくみ⑮:生体力学が教える速く歩くためのポイント②

歩行のしくみ⑯:脳卒中の発症部位と歩行速度

歩行のしくみ⑰:ヒトの皮質網様体路と歩行制御

 

 

Reference

Abellan van Kan G, Gait speed at usual pace as a predictor of adverse outcomes in community-dwelling older people an International Academy on Nutrition and Aging (IANA) Task Force. J Nutr Health Aging. 2009 Dec;13(10):881-9.

Hall WJ, Update in geriatrics. Ann Intern Med. 2006 Oct 3;145(7):538-43.

Studenski S, et al. Gait speed and survival in older adults. JAMA. 2011 Jan 5;305(1):50-8.

加齢により歩行の適応能力は変化する?②

 

 私たちは年老いると、昨日、食べたものを思い出すことが難しくなるが、自転車を運転したり、車を運転する方法は忘れない。高齢者心理学の進展により、エピソード記憶は加齢の影響を受けるが、習得された運動技能などの手続き記憶は加齢の影響が少ないことが明らかになっている。

 また、ピアノを弾くような運動スキルの学習能力は加齢の影響を受けず、新たな環境に運動を適応させる運動適応能力は加齢により低下することも示されている。

加齢により歩行の適応能力は変化する?①

 

 ヒトは加齢に伴い、環境の変化に身体運動を適応することが難しくなるのである。

 

 しかし、これらの研究は上肢の運動に主眼を置いたものであり、歩行の適応能力に対する加齢の影響は明らかになっていない。今回は、歩行適応研究の第一人者であるBastianらのグループの最新の報告を紹介しながら、加齢と歩行適応について考察してみたい。

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 2015年11月、米国ケネディクリーガー研究所のMaloneらは、加齢が歩行適応に与える影響についてNeurobiology of learning and memoryで報告している。

www.ncbi.nlm.nih.gov

 

 歩行適応の研究は、左右のベルトが独立して異なる速さで回転するSplit belt treadmillを用いて行われる。通常歩行からベルト速度を変えた直後には、歩行の非対称性が示され不安定になるが、数分もすると違和感なくこの非対称性の歩行に適応する(添付動画を見たほうがわかりやすいかも)。

Motion analysis of asymmetric walking patterns - Dr. Amy Bastian

 

 Maloneらはこのトレッドミルを用い、若年者と高齢者の歩行の適応能力を調べた。

 

 被験者は、1分間、左右のベルトが同じ速さで回転している上を歩行し、そのあと5分間、左右が異なる速さで回転するベルトの上を歩行する。歩行後に5分間、休憩を入れ、これを3セット繰り返したのち、ベルトを同じ速さに戻して5分間、歩行する。

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✻ fig.1:Malone LA, 2015より引用

 

 歩行の適応度は歩幅の対称性(step symmetry)が指標となる。歩幅が左右対称である点を0とすると、ベルト速度を変えた直後は、歩幅の対称性は大きく崩れる(非対称となる)。歩行が適応されていくと歩幅の対称性は改善し、0へと近づくのである。この対称性の改善が歩行の適応能力を示している。

 

 では、若年者の結果を見てみよう。1セットの最初は大きく非対称性を示しているが、5分間の歩行で対称性が0へ近づいていることがわかる。その後、休憩を入れて、2セット目では最初から対称性が維持されており、3セット目でも同様に対称性が維持されていた。

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✻ fig.2:Malone LA, 2015より引用改変

 

 高齢者では、1セット目は若年者と同様に大きく非対称性を示すが、その後は対称性に適応している。しかし、2セット目では、歩行開始後に非対称性が生じ、間もなく対称性が改善している。この傾向は3セット目でも認められた。

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✻ fig.3:Malone LA, 2015より引用改変

 

 若年者、高齢者ともに新たな歩行環境に対する適応能力に有意な差は認めなかったが、高齢者では休憩により適応した歩行を「忘れやすい」ことが示された。

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✻ fig.4:Malone LA, 2015より引用改変

 

 これらの結果から、歩行の適応能力は加齢の影響を受けない(若者と同じように適応できる)が、適応した歩行能力を維持することが困難になることが示唆される。高齢者は歩行練習によって上手に歩行できるようになっても、休憩によって適応した歩行を忘れてしまう傾向があるのだ。

 

 Maloneらはこの歩行適応の忘却ついて「高齢者は意識的に歩行を適応させているために忘れやすいのだろう」と述べている。

 

 歩行適応は非宣言的記憶である手続き記憶にもとづくため、その適応は無意識(潜在的)に行われる。そのため、歩行適応は大脳皮質ではなく、小脳がその役割を担っている。

歩行適応の神経メカニズム

 しかし、加齢にともない小脳機能が低下すると、運動適応時に大脳皮質の代償的活動が用いられることが報告されている(Zwergal A, 2010)。そして、大脳皮質による顕在的な学習は忘れやすい(Trewartha KM, 2014)。そのため、高齢者では新たな環境に歩行を意識的に適応することはできるが、適応した歩行を忘れやすいのである。

 

 今回の報告は、数分間の歩行適応を測定する実験モデルであるため、長期間の歩行適応が加齢の影響をどのように受けるのかはわからない。しかし、高齢者は歩行適応能力はあるが、その適応した歩容を忘れやすいという知見は臨床に有用だろう。

 

 例えば、歩行練習によって歩行が安定しても、休憩後の歩き始めは適応がリセットされるため、歩行が不安定になるかもしれない。また、新たな生活環境に適応しても、その場を離れ、戻ったときには歩行が不安定になるかもしれない。このような観点は転倒予防においても有効である。

 

 Maloneらは、さらに長期的な歩行適応に対する加齢の影響についても研究していくとのこと。このような知見の積み重ねが歩行のリハビリテーションEBMに寄与していく。今後もBastianらのグループの研究報告をキャッチアップし、本ブログでも紹介していきたい。


 ヒトは加齢に伴い、環境の変化に身体運動を適応することが困難になる。「唯一生き残るのは、変化できる者である」とチャールズ・ダーウィンが言うように、加齢とともに環境に適応する能力が低下することは自然の摂理なのかもしれない。

 

 

歩行のしくみとリハビリテーション

歩行のしくみ①:CPGについて考えよう

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歩行のしくみ⑫:歩行速度で転倒リスクを予測しよう

歩行のしくみ⑬:脳卒中後の歩行速度とQOL

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歩行のしくみ⑮:生体力学が教える速く歩くためのポイント②

歩行のしくみ⑯:脳卒中の発症部位と歩行速度

歩行のしくみ⑰:ヒトの皮質網様体路と歩行制御

 

Reference

Malone LA, et al. Age-related forgetting in locomotor adaptation. Neurobiol Learn Mem. 2015 Nov 14.

Zwergal A, et al. Aging of human supraspinal locomotor and postural control in fMRI. Neurobiol Aging. 2012 Jun;33(6):1073-84.

Trewartha KM, et al. Fast but fleeting: adaptive motor learning processes associated with aging and cognitive decline. J Neurosci. 2014 Oct 1;34(40):13411-21.

 

「説明がわからない」「これが知りたい」などのご意見はTwitterまでご気軽にご連絡ください。

加齢により歩行の適応能力は変化する?①

 

 歩行は身体と環境の相互作用により最適な歩行様式に適応される。

歩行適応 カテゴリーの記事一覧 - リハビリmemo』 

 これは運動学習の運動適応にもとづくものであり、split belt treadmillの研究によって近年、新たな知見が多く報告されている。

 しかし、このような運動学習理論は加齢の影響をほとんど含んでいない。高齢化が進む現在、加齢の影響を考慮する必要性はますます高まっている。今回は、加齢が歩行の適応能力にどのような影響を与えるのか?というテーマについて考察してみたい。

 その前に、運動学習の基盤となる記憶、ならびに上肢の運動学習と加齢の関係性についてまとめておこう。

 

 

 神経科学の研究分野で最も有名な患者であるHM氏が亡くなったのが2008年12月であり、今月で7年が経過する。

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by The New York Times. DEC. 4, 2008

 

 HM氏はてんかん治療のため、1953年に海馬およびその周辺部を切除した。手術後、人格や推論などの一般的な知能や数十秒間の記憶である短期記憶には何の影響もなかったが、新しい宣言的記憶意味記憶エピソード記憶など)を形成することが不可能になった。彼の症例研究によって、記憶には様々な種類があり、それらの遂行には複数の脳のシステムが関わっていることが明らかになり、記憶の解明に大きく寄与した。

 

 HM氏の貢献はこれだけではない。運動学習における症例研究はとりわけ衝撃的であった。鏡を見ながら星形をトレースさせる課題は、鏡に映った手の動きが左右反対になるため、スムーズに課題を遂行するためには運動学習が必要となる。HM氏にこの課題を行わせると、試行を繰り返すにしたがって課題遂行時間は減少した。そして、いったん実験室を離れると、宣言的記憶を失った彼にはこの運動課題を行ったという記憶は一切のこっていなかった。ところが、改めて運動課題を行わせると前回よりもさらに上手に課題を遂行できたのである。

 

 この症例研究から、運動学習は学習を行った記憶とは無関係に進行し、保持されることが明らかになった。運動技能の学習には宣言的記憶とは異なる手続き記憶が寄与し、その学習は潜在的に行われるのである。運動学習は手続き記憶によって学習者が気が付かないままに学習(適応)されるのだ(Corkin S, 2002)。

 

 ここで全般的な記憶について簡単にまとめておく。記憶は、短期記憶と長期記憶に大別される。長期記憶は記憶を言葉にあらわすことができる宣言的記憶と言葉ではあらわすことができない非宣言的記憶に分けられる。宣言的記憶意味記憶エピソード記憶に分けられる。非宣言的記憶手続き記憶のことを言い運動学習の基盤となる。

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 ピアノなどの楽器の演奏や車の運転、自転車の乗り方、スキーやテニスなでの運動技能の学習は手続き記憶にもとづいている。これは俗にいう「体が覚えている」ということであり、明確に言葉で表せない非宣言的記憶である。長嶋元監督が少年野球教室で「球がこうスッとくるだろ」「そこをグゥーッと構えて、腰をガッとする」「あとはバァッといってガーンと打つんだ」と指導するのは運動学習が非宣言的記憶であるためだ。

 

◆ 加齢と記憶

 

 高齢者心理学により加齢と記憶の関係性は一応の結論に到達している。短期記憶は加齢の影響が小さい。長期記憶の宣言的記憶であるエピソード記憶は加齢の影響が顕著であり、意味記憶は加齢の影響を受けない。また、手続き記憶は高齢期でも低下せず、維持される(McDaniel MA, 2006)。

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 運動学習に必要な手続き記憶は加齢の影響を受けないことでコンセンサスが得られている。覚えた運動技能は年をとっても忘れないのである。では、運動を学習する能力は加齢の影響を受けるのだろうか?

 

 

◆ 加齢と運動学習能力

 

 運動学習はスキル学習と運動適応にわけられる。スキル学習は新たな運動技能を習得することを言い、運動適応はもともと備わっている動作を新たな環境に適応させることを言う。これらの運動学習は神経メカニズムとともに、学習過程、効果的なフィードバックが異なることが明らかになっている(Bastian AJ, 2008)。

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歩行を速く適応させる方法・その2』より

 

 

 米国ミシガン大学のSeidlerらは、スキル学習と運動適応に対する加齢の影響について報告している。高齢者と若年者を対象に、スキル学習は系列反応時間課題(Serial reaction time task:SRT)を用い、運動適応は視覚運動変換課題(Visuomotor adaptation task)を実施した(Seidler RD, 2006)。

 

 ピアノを弾く、漢字を書く、暗証番号を入力するなどの日常行動のほとんどが連続的な運動である。この連続的運動の学習効果を調べるのがSRTである。被験者はジョイスティックを持ち、画面上の指示にしたがってスティックを上下、左右に動かす(例:上→右→下→左…)。同じ順序で24回施行し、これを3セット行い、その後は順番を変え、2セット行い、反応時間を計測した。

 

 その結果、もともとの反応時間の異なりはあったが、学習効果(反応時間の減少率)に有意な差は認められなかった。

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fig.1:Seidler RD, 2006より引用。縦軸に反応時間、横軸にブロックス数を示している。若年者(オレンジ)、高齢者(ブルー)ともにS1〜S3で学習効果が認められている。

 

 プリズム眼鏡をかけたことはあるだろうか?プリズム眼鏡をかけて、コップを持とうとしても上手くコップに到達できない。しかし、何回か繰り返しているうちにスムーズにコップを持つことができるようになる。そして、眼鏡を外すとまた思うようにコップが持てなくなる。このような運動適応を調べるのが視覚運動変換課題である。

 

 被験者はジョイスティックを持ち、ターゲットの場所に合わせてスティックを動かす。この研究では、30度、45度にターゲットを設定し、軌道変化を測定した。

 

 その結果、軌道変化による運動適応は高齢者に低下していることが認められた。

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 fig.2:Seidler RD, 2006より引用。ターゲットが45度変化する際の運動軌道の適応状態を示している。若年者(ブルー)に比べて高齢者(ピング)の軌道が不安定であることがわかる。

 

 研究結果は、加齢によってスキル学習能力は維持されるが、運動適応能力は低下することを示している。Seidlerらは、運動適応能力が低下する要因として、加齢による小脳機能の低下によるものと推察している。この研究報告によって、加齢に伴い新たな運動技能の獲得能力よりも環境に運動を適応させる能力が低下することが示唆された。

 

 

 ヒトは、習得した運動技能の記憶である手続き記憶はいつまでも維持することができる。運動の学習能力においては、手指動作などの運動技能の習得能力は加齢により影響は受けないが、リーチ動作などの粗大運動では、環境の変化に対する適応能力は低下する傾向にある。このような加齢特異的な運動学習の知見は、高齢者の上肢の運動療法を検討する際や高齢者の運動学習の研究を行うときには参考になるだろう。

 

 では、歩行の運動学習は加齢の影響を受けるのであろうか?このテーマについては次回、考察してみたい。 

 

 最後に、今月はHM氏の忌月である。運動療法は、生活に必要な動作や行動を医学的見地から学習させる運動学習にもとづいている。HM氏の研究協力により運動学習の基盤となる手続き記憶の潜在性が明らかになった。我々の運動療法はHM氏の貢献に立脚していることを忘れてはいけない。

 

 R.I.P. Henrry M.

 You left a legacy in science that cannot be erased.

 

 

歩行のしくみとリハビリテーション

歩行のしくみ①:CPGについて考えよう

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歩行のしくみ⑤:歩行を早く適応させる2つの方法・その2

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歩行のしくみ⑭:生体力学が教える速く歩くためのポイント 

歩行のしくみ⑮:生体力学が教える速く歩くためのポイント②

歩行のしくみ⑯:脳卒中の発症部位と歩行速度

歩行のしくみ⑰:ヒトの皮質網様体路と歩行制御

 

Reference

Corkin S. What's new with the amnesic patient H.M.? Nat Rev Neurosci. 2002 Feb;3(2):153-60.

McDaniel Mark A, et al. New considerations in aging and memory: The glass may be half full. (2008). The handbook of aging and cognition (3rd ed.)

Amy J. Bastian et al, (2008) Understanding sensorimotor adaptation and learning for rehabilitation. Curr Opin Neurol. 21(6): 628–633

Seidler RD. Differential effects of age on sequence learning and sensorimotor adaptation. Brain Res Bull. 2006 Oct 16;70(4-6):337-46.

 

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歩行適応における踵接地の役割

 

 ドローンはラジコンヘリに比べて何がすごいかというとセンサー技術なんです。スマホが広まるにつれて、センサー技術も高まり、なおかつ安価になったことがドローンの開発に寄与したそうです。 なので、空中で安定して姿勢を保持できるので、空撮に最適なんですよね。

 それでは、今回は、歩行適応のセンサーについて考察してきましょう。

 

 歩き方を変えるということは、すでに獲得している歩行を新たな環境に適応させることであり、歩行適応と呼ばれている。歩行適応は、獲得している歩行と新たな歩行との誤差(エラー)を修正することで学習されるtrial and error based learningにもとづいている。

歩行を早く適応させる2つの方法 その2

 

 それでは、歩行適応はどのようにエラーを感知し、修正しているのであろうか?

 

■歩行適応のセンサーは踵(かかと)

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  ヒトは、凍った路面を歩く際、路面の滑りやすさを感知し、滑らないように歩き方を変える。このとき、ヒトはどのようにして路面の滑りやすさを感知し、対応するのだろうか?

 

 Perkinsらは、「滑る」ことを物理学的に定義すると、足を接地させたときに生じた摩擦力が床面の滑りやすさ(最大摩擦係数)を越えた場合に滑るとしている(Parkins PJ, 1983)。つまり、滑ることは以下の不等式で表すことができる。

 

 接地時の摩擦力>床面の最大摩擦係数

 

 よって、滑って転ばないためには、床面の最大摩擦係数よりも接地させたときの摩擦力を少なくすることが必要である(摩擦力<最大摩擦係数)。それでは、この摩擦力を生じさせているのはどこかというと、「」であり、歩行周期の踵接地期(Heel contact: HC)であり、ランチョ・ロス・アミーゴ方式で言えば初期接地(Initial contact: IC)になる。私たちは、踵を接地した際に踵で滑りやすさを知覚し、床面の最大摩擦係数を超えないように摩擦力を抑えているのである。

 

 それでは、このHC時の摩擦力をどのように制御しているのだろうか?

 Chamberらは、成人と高齢者を対象として、滑りやすい床を歩かせたときの筋活動パターンについて調査している。その結果、滑りやすい床を歩く場合、踵接地時に前脛骨筋と内側腓腹筋共同収縮(co-contraction)を起こしていることを明らかにした。また、高齢者は、成人に比べて、この共同収縮が弱く、短い傾向にあり、この差異が転倒に寄与していると考察している(Chamber AJ, 2007)。

 また、Nakazawaらは、突然、床面の一部が1cm沈むWalk way(歩道)上を歩かせ、突然、床が沈んだ際の足関節周囲筋の筋活動を調査した。その結果、踵接地時に足関節の底背屈筋が共同収縮することを明らかにした(Nakazawa K, 2004)。

 これらの結果から、ヒトは、踵を接地した際に路面が滑りやすいのか、または沈むような路面なのかを知覚し、姿勢の安定性を保つために足関節の共同収縮による剛性を獲得すると示唆される。

 

 歩行における踵接地は最初に床面とコンタクトする時期であり、そこで知覚された情報をもとに足関節の共同収縮などにより歩容を変えて対応するのである。つまり、歩行適応におけるエラー抽出は踵接地時に行われ、そのエラーを修正するように歩行が適応されていくと推測される。

 そして、近年、OgawaらはSplit belt treadmill(SBT)を用いて、この仮説について検証している(Ogawa T, 2014)。

 

■SBT研究による検証

 

 SBTによる歩行分析の研究は多くあるが、筋活動や床半力を調査した運動力学的研究は多くない。Ogawaらは、筋電図と床半力計を用いて、歩行適応を運動力学的側面から解析した。

 

 SBTは2つの回転ベルトを有し、左右のベルトの速度を変えることで非対称的な歩行を適応させることができる(下の動画がわかりやすい)。

Motion analysis of asymmetric walking patterns - Dr. Amy Bastian

 実験は、成人を被験者として、SBT上を歩行する際は前方を注視させ床を見ないように統制した。これは歩行適応に視覚的フィードバックが寄与することを防ぐためである。

 最初は6分間、左右のベルトを同じ速度で回転させ、通常歩行させる(base line)。次に10分間、左右のベルトを異なる速度で回転させる(learning phase)。ここで左右非対称な歩行が適応される。最後に6分間、左右のベルトを同じ速度にして通常歩行を行う(washout)。これらの歩行適応過程において、筋電図と床半力の変化を測定した。

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  その結果、learning phaseの歩行適応初期では、遅いベルト側において前方方向への床半力が大きく増加した。また、筋活動は前傾骨筋の増加が示された。歩行適応が進むとこれらのアウトカムは減少を示した。

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 ✻Ogawa T, 2014を著者にて改変

 前方方向への床半力は歩行の制動力を意味する。歩行適応の初期では、床面の回転速度に対応するために制動力を大きくし、その制動力のコントロールに前脛骨筋の筋活動の増加が寄与していることが示唆された。さらに歩行適応が進むと制動力、前脛骨筋の筋活動も減少する。これは歩行適応の予測的反応が制動力ならびに前脛骨筋の筋活動の減少に反映されていることを示している。さらにこれらの現象は踵接地時に生じているのが注目すべき点である。

 

 つまり、歩行適応は踵接地時の足関節周囲筋の筋活動に伴う制動力のコントロールにより成されているのである。

 

 これは、ヒトは滑りやすい床面など環境変化時において、踵接地時に足関節の共同収縮により対応していることを肯定した結果である。さらに、歩行適応におけるtrial and error based learningが踵接地時の知覚にもとづいて行われ、学習による予測的反応は足関節制御に伴う制動力に反映されることを明らかにしている。

 

 転倒恐怖感を有する高齢者は、歩行中の足関節の共同収縮が増加しているという報告がある(Nagai K, 2011)。これは、転倒の予測的反応として捉えることができ、予測的反応は足関節制御に反映されるという結果を示した良い例である。

 

■歩行における踵接地の役割

 

 踵接地の役割というと、一般的にはPerryの提唱しているロッカーファンクションのヒールロッカー機能になるだろう。これは、踵接地時の衝撃吸収とともに、下腿の前傾を誘発することで回転モーメントを生じさる。このような機能は、踵接地時に生じる足関節の底屈モーメントに対する前脛骨筋の遠心性収縮によって行われる。このヒールロッカー機能により運動エネルギーを位置エネルギーに変換し、倒立振り子モデルのように重力を上手く使用し、エネルギー効率の高い歩行を実現させている。

 

 そして、この踵接地の役割に今回、歩行適応の重要な役割を追加したい。踵接地はヒールロッカー機能とともに、床面の状態を知覚する役割をもつ。このセンサーにより、新たな歩行環境に即時に反応し、知覚した環境と歩行状態の誤差を修正することにより、予測的に歩行を適応することが可能なのである。

 

 我々は、370万年前から踵で大地を踏みしめ、様々な環境に適応し、世界を渡り歩いてきたのである。

 

 

歩行のしくみとリハビリテーション

歩行のしくみ①:CPGについて考えよう

歩行のしくみ②:歩行適応について考える 

歩行のしくみ③:歩行適応の神経メカニズム

歩行のしくみ④:歩行を早く適応させる2つの方法

歩行のしくみ⑤:歩行を早く適応させる2つの方法・その2

歩行のしくみ⑥:歩行の起源

歩行のしくみ⑦:歩き方をデザインする基準

歩行のしくみ⑧:歩行適応における踵接地の役割 

歩行のしくみ⑨:加齢により歩行の適応能力は変化する?①

歩行のしくみ⑩:加齢により歩行の適応能力は変化する?②

歩行のしくみ⑪:歩行速度で余命を予測しよう

歩行のしくみ⑫:歩行速度で転倒リスクを予測しよう

歩行のしくみ⑬:脳卒中後の歩行速度とQOL

歩行のしくみ⑭:生体力学が教える速く歩くためのポイント 

歩行のしくみ⑮:生体力学が教える速く歩くためのポイント②

歩行のしくみ⑯:脳卒中の発症部位と歩行速度

歩行のしくみ⑰:ヒトの皮質網様体路と歩行制御

 

Reference

Perkins PJ, et al. (1983) Slip resistance testing of shoes new development. Ergonomics 26: 73-82.

Chambers AJ, et al. (2007) Slip-related muscle activation patterns in the stance leg during walking. Gait & Posture 25: 565–572.

Nakazawa K, et al. (2004) On the reflex co-activation of ankle flexor and extensor muscles induced by a sudden drop of support surface during walking in humans. J Appl Physiol 94: 604–611.

Ogawa T, et al. (2014) Predictive control of ankle stiffness at heel contact is a key element of locomotor adaptation during split-belt treadmill walking in humans. J Neurophysiol 111: 722–732.

Nagai, K, et al. (2012) Effects of the fear of falling on muscular coactivation during walking. Aging: Clinical and Experimental Research 24: 157-161.

 

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