3月28日に新刊「科学的に正しい筋トレ 最強の教科書」が発売されました。
この本を書いているときに、担当の編集者さんからある質問を受けました。
「なぜ、世界のエグゼクティブは仕事の前に筋トレをするのでしょうか?」
「筋トレに仕事の効率を高めるような効果があるのでしょうか?」
確かに、PayPalのCFOであるジョン・レイニーは、早朝のバーベルトレーニングがその日の仕事の効率を高めると言い、元イギリス首相のマーガレット・サッチャーや、ウォルトディズニーCEOのロバート・アイガーらも早朝のトレーニングが仕事へのエネルギーを高めてくれると述べています。
『PayPal CFO Workout - Early Morning Executive Exercise Routine』
『5 Things Super Successful People Do Before 8 AM-Forbes』
しかしながら、このときは編集者さんの質問に答えるための科学的根拠(エビデンス)を示す知見を持ち合わせていませんでした。
ところが、本を書き終えた3月、この質問のひとつの答えになるエビデンスが報告されたのです。
「筋トレをすると頭が良くなる(認知機能が高まる)」
今回は、筋トレをすると認知機能が高まるという最新の研究報告をご紹介しましょう。
Table of contents
◆ 継続的な筋トレが認知機能を高める
仕事ができる人は、その仕事の目的を明確にして、達成するための計画を立て、修正しながらも効率的に行動することができます。このような能力を「遂行機能(あるいは実行機能)」と言います。
また、会議では、多くの情報を得ながら、同時に処理をして仕事の方針を決定しなければなりません。このような情報の保持と処理を同時に行う能力を「ワーキングメモリ(作業記憶)」と言います。
さらに、仕事では多くの困難に直面します。そのときには柔軟に代替案や解決案を提示しなければなりません。このような能力を「認知の柔軟性」と言います。
難しい作業を効率的に行い、物事を適切に判断し、困難な場面で柔軟に対応するためには、遂行機能やワーキングメモリ、認知の柔軟性といった能力が必要であり、このような認知機能を高いレベルで発揮できる人が「仕事のできる人」なのです。
そして、最新のスポーツ科学や脳科学は、筋トレがこのような認知機能に与える効果について、こう述べています。
「筋トレは、遂行機能やワーキングメモリ、認知の柔軟性などの認知機能を高める」
これまで、脳の認知機能の向上には、ジョギングなどの有酸素運動による効果が示されてきました。
2010年、これまでに報告されたウォーキングやジョギングによる認知機能への影響を調査した29の研究報告をまとめて解析したメタアナリシスでは、1ヶ月以上の有酸素運動が遂行機能や情報処理の速度、記憶の向上に寄与することが示されています(Smith PJ, 2010)。
また、有酸素運動による認知機能への即時的な効果を検証したメタアナリシスでは、1回の有酸素運動を行うことによって、即時的に遂行機能などの認知機能が高まることが示唆されています(Ludyga S, 2016)。
このように、有酸素運動は長期的にも、即時的にも認知機能を高める効果が示唆されており、エビデンスが積み重ねられているのです。
そして、近年では筋トレによる認知機能への効果のエビデンスも示され始めています。
2018年、オーストラリア・キャンベラ大学のノーザイらは、50歳以上の被験者を対象に行われた継続的な有酸素運動や筋トレによる認知機能への影響を解析したメタアナリシスを報告しました。
39の研究報告をまとめて解析した結果、筋トレは遂行機能(SMD:0.49)やワーキングメモリ(SMD:0.49)の認知機能の向上に寄与することが示され、有酸素運動だけでなく、筋トレを継続的に行うことによっても認知機能が高まることが示唆されました。
しかしながらノーザイらの報告は、対象者の年齢が50歳以上に限定されていたため、若年者に一般化することはできません。そこで、幅広い年齢層を対象に、筋トレによる認知機能への効果を検証したのがドイツ・ゲーテ大学フランクフルトのウィルケらです。
◆ 筋トレは即時的にも認知機能を高める
2019年、ウィルケらは、これまでに報告された筋トレによる即時的な認知機能への効果について解析した最新のメタアナリシスを報告しました。
12の研究報告(20〜70歳代の447名)をもとに、筋トレによる即時的な認知機能への効果を解析した結果、筋トレを行ったグループは、行っていないグループよりも即時的に認知の柔軟性が向上し(SMD: 0.73, p=0.004)、ワーキングメモリが向上する傾向(SMD: 0.35, p=0.07)が認められました。
Fig.1:筋トレが認知の柔軟性に与える効果 (Wilke J, 2019より筆者作成)
Fig.2:筋トレがワーキングメモリに与える効果 (Wilke J, 2019より筆者作成)
この即時的な効果は、特に40歳以下の若年者で高く、またトレーニング経験が長く、低強度または高強度トレーニングを行ったときに効果が高いことが示されました。
また、有酸素運動と筋トレを比較した結果では、双方ともに認知機能の向上が示されましたが、そこに有意な差は認められませんでした。
これらの結果からウィルケらは、1回のトレーニングセッションは即時的に認知機能を向上させる中等度の効果があり、この効果に年齢は関係ないことを示唆しています。
では、なぜ筋トレによって認知機能が高まるのでしょうか?
ウィルケらはその因子として「脳の血流量、コルチゾール、BDNF」を挙げています。
トレーニングを行うと、動脈血圧が増加します。通常、脳の血流量は一定に保たれるように制御されていますが、トレーニングによって一時的に脳の血流量が増加することが示唆されています(Ogoh S, 2009)。ウィルケらは、この一時的な脳の血流量の増加が、トレーニング後の即時的な認知機能の向上に寄与していると推察しています。
筋トレのような高強度のトレーニングはストレス・ホルモンであるコルチゾールの放出を促進します。コルチゾールは、副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)などの合成を制限し、覚醒を引き起こす作用があります。この覚醒作用が認知機能を向上させることが示唆されています(Tsai CL, 2014)。
脳の血流量の増加、コルチゾールによる覚醒作用は、筋トレによる即時的な認知機能の増強因子になります。これに対して、筋トレによる長期的な認知機能の増強因子として注目されているのが「BDNF(脳由来神経栄養因子)」です。
BDNFは、脳の神経細胞が成長し、シナプス結合によるネットワークを構築するためには欠かせない神経系のタンパク質です。5週間のトレーニングによる血液中のBDNF濃度の上昇が確認されており、継続的なトレーニングがBDNFの増加に寄与することが示唆されています(Yarrow JF, 2010)。
ウィルケらは、筋トレによるこれらの因子の増加が即時的または長期的な認知機能の向上に寄与していると推察しています。
ノーザイやウィルケらのメタアナリシスは、対象となる研究報告数が少ないですが、筋トレが即時的または長期的に脳の認知機能を高めることを示した現在のところのエビデンスになります。今後は、研究報告数が増えた段階で改めてメタアナリシスを行うとともに、認知機能の向上に最適なトレーニング強度や総負荷量などの検証が必要でしょう。また、メカニズムのさらなる解明が期待されます。
「なぜ、世界のエグゼクティブは仕事の前に筋トレをするのでしょうか?」
この質問に、現代のスポーツ科学はこう答えています。
「筋トレをすると頭が良くなる(認知機能が高まる)」
筋トレをしたあとに、頭がクリアになって、仕事や勉強がはかどる経験をしたことはありませんか?ウィルケらは、筋トレの即時的な認知機能の向上効果から、仕事の休み時間に筋トレを行うことも推奨しています。
大事な仕事やプライベートの用事の前に、筋トレをして認知機能を高めておくのも良いかもしれませんね。
◇ 筋トレの重要なエビデンスのみを集めた新刊が発売されました!
◆ 読んでおきたい記事
シリーズ①:筋肉を増やすための栄養摂取のメカニズムを理解しよう
シリーズ②:筋トレの効果を最大にするタンパク質の摂取量を知っておこう
シリーズ③:筋トレの効果を最大にするタンパク質の摂取タイミングを知っておこう
シリーズ④:筋トレの効果を最大にするタンパク質の摂取パターンを知っておこう
シリーズ⑤:筋トレの効果を最大にする就寝前のプロテイン摂取を知っておこう
シリーズ⑥:筋トレの効果を最大にする就寝前のプロテイン摂取の方法論
シリーズ⑦:筋トレの効果を最大にする運動強度(負荷)について知っておこう
シリーズ⑧:筋トレの効果を最大にする運動強度(負荷)の実践論
シリーズ⑨:筋トレの効果を最大にするセット数について知っておこう
シリーズ⑩:筋トレの効果を最大にするセット間の休憩時間について知っておこう
シリーズ⑪:筋トレの効果を最大にするトレーニングの頻度について知っておこう
シリーズ⑫:筋トレの効果を最大にするタンパク質の品質について知っておこう
シリーズ⑬:筋トレの効果を最大にするロイシンについて知っておこう
シリーズ⑭:筋トレの効果を最大にするタンパク質の摂取方法まとめ
シリーズ⑮:筋トレの効果を最大にするベータアラニンについて知っておこう
シリーズ⑯:いつまでも若々しい筋肉を維持するためには筋トレだけじゃ不十分?
シリーズ⑰:筋トレの効果を最大にするセット数について知っておこう(2017年7月版)
シリーズ⑱:筋トレとアルコール摂取の残酷な真実
シリーズ⑲:筋トレの効果を最大にするタンパク質の摂取量を知っておこう(2017年7月版)
シリーズ⑳:長生きの秘訣は筋トレにある
シリーズ㉑:筋トレの最適な負荷量を知っておこう(2017年8月版)
シリーズ㉒:筋トレが不安を解消するエビデンス
シリーズ㉓:筋肉量を維持しながらダイエットする方法論
シリーズ㉔:プロテインの摂取はトレーニング前と後のどちらが効果的?
シリーズ㉕:筋トレの前にストレッチングをしてはいけない理由
シリーズ㉖:筋トレの効果を最大にするウォームアップの方法を知っておこう
シリーズ㉗:筋トレの効果を最大にするセット間の休憩時間を知っておこう(2017年9月版)
シリーズ㉘:BCAAが筋肉痛を回復させるエビデンス
シリーズ㉙:筋トレの効果を最大にするタマゴの正しい食べ方
シリーズ㉚:筋トレが睡眠の質を高める〜世界初のエビデンスが明らかに
シリーズ㉛:筋肉の大きさから筋トレをデザインしよう
シリーズ㉜:HMBが筋トレの効果を高める理由~国際スポーツ栄養学会のガイドラインから最新のエビデンスまで
シリーズ㉝:筋トレの効果を高める最新の3つの考え方〜Schoenfeld氏のインタビューより
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シリーズ㊱:筋トレが病気による死亡率を減少させる幸福な真実
シリーズ㊲:プロテインは腎臓にダメージを与える?〜現代の科学が示すひとつの答え
シリーズ㊳:筋トレとアルコールの残酷な真実(続編)
シリーズ㊴:筋トレの効果を最大にする「関節を動かす範囲」について知っておこう
シリーズ㊵:筋トレが続かない理由〜ハーバード大学が明らかにした答えとは?
シリーズ㊶:筋トレと遺伝の本当の真実〜筋トレの効果は遺伝で決まる?
シリーズ㊷:エビデンスにもとづく筋肥大を最大化するための筋トレ・ガイドライン
シリーズ㊸:筋トレしてすぐの筋肥大は浮腫(むくみ)であるという残念な真実
シリーズ㊹:時間がないときにやるべき筋トレメニューとは〜その科学的根拠があきらかに
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シリーズ㊼:プロテインは骨をもろくする?〜最新の研究結果を知っておこう
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シリーズ58:筋トレは朝やるべきか、夕方やるべきか問題
シリーズ59:筋トレの効果を最大にする食品やプロテインの選ぶポイントを知っておこう
シリーズ60:ベンチプレスをするなら大胸筋損傷について知っておこう
シリーズ61:筋トレの効果を最大にするタンパク質の摂取パターンを知っておこう(2018年4月版)
シリーズ62:筋トレ後のタンパク質摂取に炭水化物(糖質)は必要ない?
シリーズ63:ホエイ・プロテインと筋トレ、ダイエット、健康についての最新のエビデンスまとめ
シリーズ64:筋トレの効果を最大にする「牛乳」の選び方を知っておこう
シリーズ65:そもそもプロテインの摂取は筋トレの効果を高めるのか?
シリーズ66:筋力を簡単にアップさせる方法~筋力と神経の関係を知っておこう
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シリーズ68:筋トレは疲労困憊まで追い込むべきか?〜最新のエビデンスを知っていこう
シリーズ69:筋トレで疲労困憊まで追い込んではいけない理由(筋力増強編)
シリーズ70:筋トレで筋肥大の効果を最大にする「運動のスピード」を知っておこう
シリーズ71:筋トレで筋力増強の効果を最大にする「運動のスピード」を知っておこう
シリーズ72:ネガティブトレーニングは筋肥大に効果的なのか?〜最新エビデンスを知っておこう
シリーズ73:筋トレを続ける技術〜お金をもらえれば筋トレは継続できる?
シリーズ74:プロテインは腎臓にダメージを与える?〜ハーバード大学の見解と最新エビデンス
シリーズ75:筋トレによる筋肥大の効果は強度、回数、セット数を合わせた総負荷量によって決まる
シリーズ76:筋トレの効果を最大にするタンパク質の摂取方法まとめ(2018年8月版)
シリーズ77:筋トレとHMBの最新エビデンス(2018年8月版)
シリーズ78:筋トレによる筋肉痛にもっとも効果的なアフターケアの最新エビデンス
シリーズ79:筋肥大のメカニズムから筋トレをデザインしよう
シリーズ80:筋トレの効果を最大にする週の頻度(週に何回?)の最新エビデンス
シリーズ81:筋トレ後のクールダウンに効果なし?〜最新のレビュー結果を知っておこう
シリーズ82:筋トレの総負荷量と疲労の関係からトレーニングをデザインしよう
シリーズ83:筋トレのパフォーマンスを最大にするクレアチンの最新エビデンス
シリーズ84:筋トレのあとは風邪をひきやすくなる?〜最新エビデンスと対処法
シリーズ85:筋トレのパフォーマンスを最大にするカフェインの最新エビデンス
シリーズ86:筋トレとグルタミンの最新エビデンス
シリーズ87:筋トレとアルギニンの最新エビデンス
シリーズ88:筋トレとシトルリンの最新エビデンス
シリーズ89:筋トレするなら知っておきたいサプリメントの最新エビデンスまとめ
シリーズ90:筋トレをするとモテる本当の理由
シリーズ91:高タンパク質は腎臓にダメージを与えない〜最新エビデンスが明らかに
シリーズ92:筋トレするなら知っておきたい食事のキホン〜ハーバード流の食事プレート
シリーズ93:筋トレを続ける技術〜マシュマロ・テストを攻略しよう
シリーズ94:スクワットのフォームの基本を知っておこう【スクワットの科学】
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シリーズ97:ベンチプレスのフォームの基本を知っておこう【ベンチプレスの科学】
シリーズ98:ヒトはベンチプレスをするために進化してきた【ベンチプレスの科学】
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シリーズ102:腕立て伏せの回数と握力から心臓病のリスクを知ろう!
シリーズ103:筋トレは朝やるべきか、夕方やるべきか?〜最新エビデンスを知っておこう
シリーズ104:筋トレによる筋肥大の効果は「週のトレーニング量」で決まる!【最新エビデンス】
シリーズ105:筋トレをすると「頭が良くなる」という最新エビデンス
◆ 参考文献
Smith PJ, et al. Aerobic exercise and neurocognitive performance: a meta-analytic review of randomized controlled trials. Psychosom Med. 2010 Apr;72(3):239-52.
Ludyga S, et al. Acute effects of moderate aerobic exercise on specific aspects of executive function in different age and fitness groups: A meta-analysis. Psychophysiology. 2016 Nov;53(11):1611-1626.
Northey JM, et al. Exercise interventions for cognitive function in adults older than 50: a systematic review with meta-analysis. Br J Sports Med. 2018 Feb;52(3):154-160.
Wilke J, et al. Acute Effects of Resistance Exercise on Cognitive Function in Healthy Adults: A Systematic Review with Multilevel Meta-Analysis. Sports Med. 2019 Mar 6.
Ogoh S, et al. Cerebral blood flow during exercise: mechanisms of regulation. J Appl Physiol (1985). 2009 Nov;107(5):1370-80.
Tsai CL, et al. Executive function and endocrinological responses to acute resistance exercise. Front Behav Neurosci. 2014 Aug 1;8:262.
Yarrow JF, et al. Training augments resistance exercise induced elevation of circulating brain derived neurotrophic factor (BDNF). Neurosci Lett. 2010 Jul 26;479(2):161-5.